プラトン・アレクセエヰツチユ・セレダは床の中でぢつとしてゐる。死んでゐるかと思はれる程である。鼻は尖つて、干からびた顔の皮は紙のやうになつて、深く陥つた、周囲の輪廓のはつきりしてゐる眼窩は、上下の瞼が合はないので、狭い隙間を露してゐる。その隙間から、これが死だと云ふやうに、濁つた、どろんとした、硝子めいた眼球が見える。
室内は殆ど真暗である。薄板を繋いだ簾が卸してあるので、そこから漏れて来る日の光が、琥珀のやうな黄を帯びて、一種病的な色をしてゐる。人を悲しませて、同時に人を興奮させる色である。暗い片隅には、聖像の前に燈明が上げてある。このちら/\する赤い火があるために、部屋が寺院にある龕か、遺骨を納める石窟かと思はれる。
黒い服を着た、痩せた貴婦人が、苦痛を刻み附けられた顔をして、抜足をして、出たり這入つたりする。これが病人の妻グラフイラ・イワノフナである。女は耳を澄まして、病人の寐息を開く。それから仰向いて、燈明の小さい星のやうに照つてゐる奥の聖像を見る。それから痩せて、骨ばかりになつてゐる両手で、胸をしつかり押へて、唇を微かに動かす。
折々は大学の制服を着た青年が一人、不安らしい顔をして来て、二三分間閾の上に立つて、中の様子を窺つてゐて、頭を項垂れて行つてしまふ。
こん度来たのは、脚の苧殻のやうに細い、六歳の娘である。お父うさんを見ようと云ふので、抜足をして、そつと病人の足の処まで来て、横目で見た。常は慈愛、温厚、歓喜の色を湛へてゐた父の目が、例のの隙間から、異様に光つてゐるのを見て、娘は本能的に恐怖心を発した。そしてニノチユカの小さい胸は波立つた。ニノチユカは跡から追ひ掛けられるやうに、暗い室から座鋪へ出た。そこには冬の朝の寒い日が明るく照つてゐて、黄いろいカナリア鳥が面白げに、声高く啼いてゐて、もうこはくもなんともなくなつた。
「お父うさんはまだお目が醒めないかい。」と、母が問うた。
「いゝえ。」
「もう一遍行つて見てお出。」