一
其頃はギリシヤ人にサラシンとよばれたバルタザアルがエチオピアを治めてゐた。バルタザアルは色こそ黒いが、目鼻立の整つた男であつた。其上又素直なたましひと大様な心とを持つた男であつた。
即位の第三年行年二十二の時に王は国を出て、シバの女王バルキス聘問の途に上つた。
追随するのは魔法師のセムボビチスと宦官のメンケラとである。行列の中には七十五頭の駱駝がゐて、それが皆肉桂、没薬、砂金、象牙などを負うてゐるのである。
みちみち、セムボビチスが王に遊星の力や宝石の徳を教へたり、メンケラが尊い秘文の歌を謡つて聞かせたりする。けれども王は余りそんな物には気を止めない。其代り沙漠のはてにちやんと坐つて耳を立ててゐるジヤツカルと云ふ獣を見て面白がつてゐるのである。
十二日の旅が了ると、漸く薔薇のにほひがし始めた。それからぢきに、シバの市をめぐつてゐる庭園が見え出した。一行は通りすがりに、花ざかりの柘榴の木の下で若い女が大ぜい踊つてゐるのに遇つた。
『踊は祈祷ぢや』と魔法師のセムボビチスが云ふ。
『あのをな子どもはよい価に売れるわ』と宦官のメンケラが云ふ。
市へはひると、倉庫と工場とが何処迄もつづいてゐる。其中には又無量の商品が山の如く積んである。之が先づ一行の眼を驚かした。
それから長い間市を歩いた。市は路車や搬夫や驢馬や驢馬追ひで埋められてゐるのである。すると眼界が急に開けて、バルキスの王宮の大理石の壁と紫の幕と金の円天井とが一行の眼の前に現れた。
シバの女王は一行を庭上に迎へた。香水の噴きあげが涼を揺つてゐる。噴きあげは真珠の雨のやうなうつくしい音を立てて滴るのである。
ほほゑみながら、女王は一行の前に立つた。宝石をちりばめた長い袍を着てゐる。
バルタザアルは女王を見ると何うしたらいいかわからなくなつた。女王が「夢」よりも愛らしく、「望」よりもうつくしく見えたのである。
『陛下、女王と都合のよい商業上の条約を結ぶのを御忘れなさいますな』とセムボビチスが小声で云ふ。
『陛下、御気をつけなさいませ。女王は魔法を使うて男の愛を得るのぢやと云ふ事でございます』とメンケラがつけ加へた。