山陰の風景
本文約2,500字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
大正五年の梅雨、城崎温泉を訪れた著者が、旅の情景や滞在中の体験を綴る。車窓から眺める山陰の淋しい風景や、温泉町の夜の情緒、盂蘭盆に行われる精霊船流しの哀愁を描く。また、城崎の東を流れる円山川の穏やかな風情と、川辺での釣りや日本海の眺望に触れ、風景が自身の心境や環境によって変化する様を考察する。本書は、旅先で得た詩歌の着想や、土地の習慣を通して感じる人生の寂しさや滋味を、短歌への情熱と共に記す随筆である。
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山陰と云つても、東は丹後但馬から西は石見に及んでゐて、區域が廣いからさし當りここでは、但馬の城崎附近を書いて見よう。
又歌になる所と云つても、好い眼さへ持つてゐれば、何處にも詩は見出されるのだから、今は私に興味があつた處をあげてゆくに止める。
城崎温泉
城崎の町は、山陰線が北上して、日本海の海岸へ出ようとする一里ばかり手前で、西へ折れてゐる、其曲り角の處に當つてゐる。
私がここへ行つたのは、大正五年六月の梅雨季だつた。京都から、午後の汽車で立つたが、丹波の國の山間を通過して、だんだん北の方へと走るのは、非常に淋しい氣持だつた。
螢の飛びちがつてゐる峠路や、寂しい停車場前の小さい旅館の灯、大江山へ何里などと書いてある驛の名所案内の白い札、踏切に待つてゐる田植歸りの百姓の家族、山際の殘照、月見草の花、それらが車窓から私のセンチメンタルになつた心に映つて、過ぎて行つたのを今でもはつきり思ひ出す。
その淋しさが極つた頃、城崎驛へついて、俥で狹い明るい町を、四五町宿やへ曳かれて行つたが、一種の物珍らかななつかしい印象を受けた。其狹い町の兩側の温泉宿の、細格子のはまつた二階三階の明るい燈火や土産物を賣つてる店の品物を照らしてゐる電燈、その間を流れてゐる町中の小川等の感じは、何となく芝居の書割を聯想させるやうな、又、廓を思はせるやうな、一種まとまつた、ハイムリッヒな、好い心持だつた。
其夜は宿屋の往來に近い一室に寢て、町を往來する下駄の響を耳にしつつ眠りに就いた。
此汽車で梅雨期の山陰道へ入つて行つた感じ、夜の温泉町の明るい印象、其夜の旅愁、これらは歌にしようとして、自分もまだ歌ひこなせないでゐる。