TRENDIA CLASSIC

「一握の砂」序

藪野椋十

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世の中には途法も無い仁もあるものぢや、歌集の序を書けとある、人もあらうに此の俺に新派の歌集の序を書けとぢや。ああでも無い、かうでも無い、とひねつた末が此んなことに立至るのぢやらう。此の途法も無い処が即ち新の新たる極意かも知れん。

定めしひねくれた歌を詠んであるぢやらうと思ひながら手当り次第に繰り展げた処が、

高きより飛び下りるごとき心もて

この一生を

終るすべなきか

此ア面白い、ふン此の刹那の心を常住に持することが出来たら、至極ぢや。面白い処に気が着いたものぢや、面白く言ひまはしたものぢや。

非凡なる人のごとくにふるまへる

後のさびしさは

何にかたぐへむ

いや斯ういふ事は俺等の半生にしこたま有つた。此のさびしさを一生覚えずに過す人が、所謂当節の成功家ぢや。

何処やらに沢山の人が争ひて

鬮引くごとし

われも引きたし

何にしろ大混雑のおしあひへしあひで、鬮引の場に入るだけでも一難儀ぢやのに、やつとの思ひに引いたところで大概は空鬮ぢや。

何がなしにさびしくなれば

出てあるく男となりて

三月にもなれり

とある日に

酒をのみたくてならぬごとく

今日われ切に金を欲りせり

怒る時

かならずひとつ鉢を割り

九百九十九割りて死なまし

腕拱みて

このごろ思ふ

大いなる敵目の前に躍り出でよと

目の前の菓子皿などを

かりかりと噛みてみたくなりぬ

もどかしきかな

鏡とり

能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ

泣き飽きし時

こころよく

我にはたらく仕事あれ

それを仕遂げて死なむと思ふ

よごれたる足袋穿く時の

気味わるき思ひに似たる

思出もあり