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TORENDIA

球体派

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

夜の街路を酔って歩く画家と私は、芸術における球体の美について語り合う。画家は西洋画の面を突き詰め、立体派を超えた「球体派」の理念を説く。私たちは眼球や象牙の球、音楽や機械の音、さらには夜空に輝く星や浅間山の噴火口へ身を投げる人間の姿の中に、円満で完成された球形の美を見出す。万物の完全な形を円形とする哲人の説に共鳴しながら、私たちは球体的な生を抱き、夜の街路へと歩みを進める。

豊島与志雄著

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🎧 球体派 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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私は友人の画家と一緒に夜の街路を歩いていた。二人とも可なり酔っていた。どういう話の続きか覚えていないが、彼はしきりに球体派という言葉をくり返していた。

「日本画と西洋画との本質的なちがいは、日本画は線で物を把握し、西洋画は面で物を把握する、というところにある。ところがこの面というものが甚だ厄介で、ともすると平面になってしまう。平面の集まりになったんじゃあ、絵が死んでしまうし、物のヴォリュームは出てこない。面其のものを直接に取扱う彫刻にしたって、見給え、大抵は死んでるのが多いじゃないか。面を生かす……ヴォリュームの力で底からまるくふくれ上ってくる……そういうところに僕の努力や苦心があるんだ。立体派をもう一つ先の球体派というところまでつきぬけるんだ。」

「球体派は賛成だ。」と私は叫んだ。「なぜかなら……。」

私達が歩いている街路は、大震災後四五年たって――余りに遅すぎるが――漸く復興されてる最中だった。その上道路も修繕中だった。鉄骨、木片、コンクリート、レール、舗石、其他大都会のあらゆる素材が、乱雑に堆積していた。そしてその中に、ところどころに、出来上りつつある建物の断片が、曲線を見せてる横顔が、思いがけなく覗き出していた。それは私に一種の喜びを与えた。煩雑な幾何学的図形の中に、生々とした球面をふと見出した時の喜び――ピカソの画面の中に肉体的ヴォリュームを見出した時の喜び……。それにまた、通行人等の身体が、夜の街路の上に如何にも弾力性を帯び、その眼が、街灯の光の中に如何にも生気に満ちていた。

「そうだ、これらの持つ美は、一種の球体的な美だ。」

「眼球の美だ。」

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