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TORENDIA

私の竜之助感

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

机龍之助への愛着を背景に、自身の舞台芸術におけるキャラクターの独自性を綴る。小説『大菩薩峠』に登場する龍之助とは別に、自らの演劇主義に基づき舞台上で創造した龍之助という存在があることを説く。独自の解釈で育てた龍之助は模倣を許さぬ芸術的創作物であり、原作者の意図とは異なる枝ぶりを持つ。既存の作品を客観的に論じることは困難であるとして、自らの演劇的な法悦による龍之助像のあり方を明示する。

澤田正二郎

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🎧 私の竜之助感 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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戀は盲目だとか、昔からの諺である。相手が惚れた男なら、あばたもえくぼに見えるように、所詮、戀人は批評の外の存在である。私の「大菩薩峠」に對する氣持も、正直に言えばその通りで、全く批評を超えたものである。

がしかし、私がかほど戀する「机龍之助」とは、原作者がいうところの机龍之助とは違うかも知れない。

或は小説が「大菩薩峠」の作者には思いも及ばない龍之助であるかも知れない。何となれば、私の謂う「机龍之助」とは、曾つて私が舞臺上に創作した机龍之助であるから。もつと詳しく云えば、その龍之助は、小説畑に生えた「大菩薩峠」の種子を、別に、全然地味に、異つた演劇畑に播いて育てた別の龍之助である。(これは如何なる小説の劇化にも已むを得ない當然の結果である)――しかもこれを栽培した私は、全然私自身の遵奉する私の演劇主義によつてその枝ぶりを作り、その葉を刈つたことは、これもまた已むを得ぬ演劇藝術の必然といわねばなるまい。要するに同じ松でもその松は別個の松である。同じ「大菩薩峠」の机龍之助でも、これは私の演劇術によつて創作された別の机龍之助である。言わば私は、松の木の有するあるよさを選んだのである。

そして別に畑の異う舞臺の上の松を創造したのである。自然そこには私獨自なるものがある。從つて、私の謂う「机龍之助」は、原作者が恐れる訪問作者の筆や、映畫の上に剽盜さることを憂うることは少しもないものである。

例えば何人が眞似ようと、何人が改作しようと、嚴として獨自の存在性を持して保ち得る私の藝「机龍之助」なのである。

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