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TORENDIA

素書

本文約16,300字 ・ 読了時間 約33分

あらすじ(AIが作成しました)

東京郊外の自宅を訪れた私と、イタリー人の妻との生活に忙殺される友人の山崎は、互いの近況を語り合いながら酒を酌み交わす。かつての地震による記憶や不安を抱え、芸術への焦燥感に苛まれる私は、山崎の妻が猫や山羊を介さねば意思を通じない複雑な家庭環境を垣間見る。やがて泥酔し、夜明けを告げる幻影に惑わされながら、私は自身の孤独と書簡執筆の苦悩に向き合い、創作と生活の狭間で八月の暑い夜を過ごす。

牧野信一

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一

「マダムの御気嫌はどう? 今日は?」

山崎の顔を見るなり私は、部屋の入口に突立つたまゝ凝つと、訊ねた。――「君の顔色には何だか生気がない、病的といふほどのことではなしに……。眼つきが何となく悸々としてゐる、今日も!」

「さうだらう、俺は――」と山崎は、私がもつとさういふ風な彼に関する批評を続けるであらうことを、別段に何の不安を持つこともなく待ち構えるやうに、ぼんやりとして、

「どうも忙しい。」と素気なく呟いだ。

私は続けなかつた。――「俺は?」

「君は何時もの通りだ。余ツ程急いでゞも来たのか、赤味を帯びてゐる。健康さうだ、変に――」

山崎は、さう云つてゐたが、隣室の気はひをでも窺つてゐるかのやうに眼に落つきがなかつた。

私たちは、挨拶の代りに斯んなことを云ひ合ふことが屡々だつた。尤も夫人のことを訊ねるのは私の方が何時も主だつた。――「どう? 今日は、マダム?」

「うむ、まあ……」山崎の返事や態度は何時も決つてゐた。彼は、浮かぬ様子で煙草を喫してゐた。

「俺は、この儘直ぐに帰つても好いんだよ。たゞこの辺まで当のない散歩に来たまでのことなんだから……」

「この頃の君は、余程散歩が好きになつたらしいね、俺とは反対だ。」

訪ねられて迷惑なのか、と思ふとさうでもないらしく山崎は、不器用な手つきで煙草をすゝめながら、

「まあ、掛けろよ。どうせ君は退屈で弱つてゐるんだらう。散歩なんて如何でも好いぢやないか。」

さう云つて、この前私が彼に会つたのは何日位前か忘れたが半月とは経つてゐないその時もさうだつたが、あれが未だ治らないのかしら、それにしては治りが馬鹿に遅い――などゝ私に訝しがらせた、頬の猫の爪にでも引つかゝれたやうな鮮やかな傷痕を物憂気に撫で回してゐた。――長居の客があつて、つい山崎が夫人をないがしろにして陽気に騒いだところ、客が居る間に彼は、突然夫人に飛びつかれて酷い目に合されたのだ。

「この前のあれが、未だ治らないのか?」と私は、山崎の頬を指差して訊ねた。

「あれは治つたが――」

「また?」

「この前君が来た時は、お互ひに大分酔つ払つたな。君は、吾家へ着いたら夜が明けやしなかつたか?」

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