月あかり
本文約15,000字 ・ 読了時間 約30分
あらすじ(AIが作成しました)
苗字の代りに村の通称で呼び合い、本名すら忘れる者が珍しくない竜巻村。この地で暮らす語り手は、曖昧な言葉を話すおかくや、その息子で仇名のぶくりん、代書業を営むぐでりんらとの交流を通じて、村固有の風習に翻弄される。ある日、語り手は自分にも仇名がついていることを知り憤慨するが、村に閉ざされた自身の境遇や周囲の奇妙な振る舞いに困惑を深めていく。独特の閉塞感が漂う山奥の村で、混迷する人間関係と日常を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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このごろ私は、ときどき音取かくからの手紙(代筆)を貰ふので、はぢめてその音取といふ苗字を知つた次第でありますが、それまではその人の姓名は怒山かく――かとばかりおもふて居りました。ところが怒山といふのは、その人の村の名称だつたのです。左う云へば人々は、その人のことを怒山のおかくと称んでゐたのに気づきました。また、おかくに限らず町の人達は、それらの村の人々を区別するには苗字の代りに村の名前を用ひてゐたとうなづかれます。ともかく私は、この頃その人からの手紙を貰つて、音取かく――と見る場合妙なぎこちなさを覚えるのです。それも定つて音取とあるわけではなく、音頭となつたり音田であつたり、雄鳥と変つたりするのです。おかくに会つて、私が苗字を訊ねて見ると稍暫く呆然とした後に、
「おんどる……だな。」
と答へるのですが、るが、りなのか、また他のものか決して聞わけ憎いのであります。字は訊ねても無駄なのです。怒山といふひゞきの方が、明瞭であるためか、習慣のためか、いかにもおかくの風貌風姿に適はしくて親しみが多いやうにおもつて居りましたが、やがて、おんどるなのかおんどりなのか判然としないのも気にならなくなりました。その山奥の小さな村では、苗字なんてものはほんとうに要もないものだつたのです。郵便なんていふものを受けとる人は村中にひとりもないといふところなのですから――。私のゐる寄生木も隣りの怒山も、その他五つの字名の小区域と共に竜巻村といふものゝ中の小字であり、俗称であつて、登録された名称ではないのです。
おかくは代筆された手紙を自分で私のところへ携へて来るのですが、その内容はいつもきまつて意味が曖昧なのです。
「一体、ぶくりんの名前は何といふんだね。」
文中に、倅柚吉とあつたり、柚七となつたり、柚太であつたりするので、また私が左う訊ねても、やはりおかくの返事は烏耶無耶なのであります。
「ぶくりんが何うも悪さばかり仕でかして……」