竹藪の蔭の井戸端に木蓮とコヾメ桜の老樹が枝を張り、野天風呂の火が、風呂番の娘の横顔を照してゐた。もう余程古いことであり、村の名前さへ稍朧ろ気であるが、私は不思議とその娘の名がるいといふのであつたと憶えてゐる。その時私は採集旅行の途中で大きな沼のあるその村への櫟林で大ムラサキ蝶を追ひかけるうちに可成りの断崖から滑つて脚を痛め、十日ちかくもその宿に滞留してゐたらうか? と思はれるが、その間だつて殆んどその娘と口など利いたこともなく、それも別段何かのはにかみを感じたからといふわけでもなく、ともあれ名前すらが記憶に残つてゐるといふだけでも私にとつては不思議な次第と思はざるを得ないのだ。宿屋と云つてもたゞの百姓家同然で、若しも軒先に煙草の看板ほどの酷く煤けた「おとまり宿」といふ板が掛つてゐなかつたら見逃すのが当然沁みた草葺屋根の不恰好な二階屋だつた。
二階は何時にも使つたこともなく物置同様で? と、素樸を装ひながら旅人を見る眼には仲々陰険な、そして業慾の貌がはつきりと窺はれる亭主が、二階をと望んだ私の申出を余程迷惑さうであつた。然し私は、夜になると囲炉裡端に大層な漁色漢沁みた連中が集つて面白くもない聞くも卑猥な冗談を如何にも吾ながら面白さうに喋舌るのが聞くも気持が悪く、一日や二日の滞留では済されさうもなかつたので、強ひて二階の一室を片づけさせた。るいはその家の一人娘らしかつたが、夜になると赤い帯を締めて囲炉裡端で沼で獲れる魚を焼きながら酒の酌をつとめてゐた。親父が傍にゐるといふのに酒飲連は遠慮も知らずに娘をからかつた。私は酔客よりも寧ろ、そんな光景を平気で眺めてゐる親父を可怪く思つた。娘は大概ツンと済して笑ひ声ひとつ立てなかつたが、そんな愛嬌知らずで充分な人気があつたところを見ると一廉の美しい花には相違なかつたのだ。眼のぱつちりした痩形の娘で、私のコダツクを見ると頻りに写して呉れと強請んだので、彼女が棒縞のモンペを穿いて野良仕事へ出るところを写さうとすると、そんな姿は御免だと云つて夢中で馬小屋へ隠れた。