風流旅行
本文約7,000字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
酒に溺れ、困窮しながら旅を続ける主人公は、遠方の妻へ送る生活費を工面しようと各地を彷徨う。ローレンス・スターンの著作を携え、旅人としての風流を自称するが、現実には旅先での滞在費にも事欠き、世間の冷ややかな目に晒される日々を送る。故郷の母を訪ねては旅の土産話を披露して安心させることで自己の均衡を保とうとするが、窮乏と精神的な閉塞感の中で、自らの旅のあり方を再考せざるを得ない心境を描く。
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一
一ヶ月あまりは、またそれで旅に暮しても十分とおもつてゐたのに、私は迂闊にも自分が再び相当の飲酒者に立ち戻つてゐたのを忘れてゐた為に、二三ヶ所をわたり歩いて未だ二週間も経たぬ間に、もう国元へ電報を打たなければならぬ状態だつた。私は従来何んな類の旅の経験も知らない所為か、何処に泊つても滑稽なほど臆病で、財布のことばかりを気にしてゐるにも拘はらず、毎晩十二時過ぎまでも酒を飲まずには居られなかつた。飲んでも普段のやうに威張つた風な声ひとつ立てることもなく、何か心細気に、あたりの気合ひばかりを窺つてゐる容子であつた。私は登山袋ひとつの軽装に着換へて、地図をたよりに山を越えた。竜巻村の村長から兼て噂に聞いてゐたところの、風鈴湯といふ聴くだに今季うそ寒い山峡の沸し温泉を目ざした。余程仔細あり気な理由を考へつかぬ限り、旅費の追加を申し込み憎い折からだつたので、ひたすら風鈴湯の宿料の安価なことだけを目ざして道を急いだ。あたりの山々は紅葉に色彩れて、鵙の声が谿をわたつてこだまするおもむきなど、これが若し風流な旅の上であつたならば、脚をとどめて聴きとれるであらうのに――と私は残念であつた。稀に温泉にでも落着いたならば、案外仕事も捗るに違ひないと高をくくつて、貧しい兄弟のところに同居してゐる女房を慰めておいたのに、もう私は自分だけの始末も怪しくなつて来たのかとおもふと、風物などを楽しむ余裕はおろか、今にも蝋燭のやうに消え入つてでもしまひさうにつまらなかつた。
私は、ローレンス・スターンの「風流旅行記」“The Sentimental Journey throuth France and Italy”といふ本を一冊携へて、自分も一ぱしのセンチメンタル・ツラベラと自惚れてゐたのであつたが、未だそれを半ばまでも読まぬうちに、最早自分は“The Vain Traveler”に貌変しさうな己れを憐れまずには居られなかつた。