TRENDIA CLASSIC
山越しの弥陀
釈迢空
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極樂の東門に 向ふ難波の西の海 入り日の影も 舞ふとかや 渡來文化が、渡來當時の姿をさながら持ち傳へてゐると思はれながら、いつか内容は、我が國生得のものと入りかはつてゐる。さうした例の一つとして、日本人の考へた山越しの阿彌陀像の由來と、之が書きたくなつた、私一個の事情をここに書きつける。
「山越しの彌陀をめぐる不思議」――大體かう言ふ表題だつたと思ふ。美術雜誌か何かに出たのだらうと思はれる拔き刷りを、人から貰うて讀んだのは、何でも、昭和の初めのことだつた。大倉粂馬さんといふ人の書かれたもので、大倉集古館にをさまつて居る、冷泉爲恭筆の阿彌陀來迎圖についての、思ひ出し咄だつた。不思議と思へば不思議、何でもないと言へば何のこともなさゝうな事實譚である。だがなるほど、大正のあの地震に遭うて燒けたものと思ひこんで居たのが、偶然助かつて居たとすれば、關係深い人々にとつては、――これに色んな聯想もつき添ふとすれば、奇蹟談の緒口にもなりさうなことである。喜八郎老人の、何の氣なしに買うて置いたものが、爲恭のだと知れ、其上、その繪かき――爲恭の、畫人としての經歴を知つて見ると、繪に味ひが加つて、愈、何だか因縁らしいものゝ感じられて來るのも、無理はない。