駅夫日記
本文約34,600字 ・ 読了時間 約70分
あらすじ(AIが作成しました)
目黒停車場に勤める十八歳の駅夫は、脂垢にまみれた制服姿を羞じ、美貌の学生大槻芳雄に対し羨望と劣等感を抱く。貧しい生い立ちと労働の苦しみの中で功名の夢を捨てきれずにいたが、後に小林浩平と出会う。ある夜、品川停車場でかつての因縁の相手である蘆鉦次郎と高谷千代子を目撃した青年は、小林から手渡された小冊子を手に、新しい闘争の途へ向けて汽車で旅立つ様子を描く。
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一
私は十八歳、他人は一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂れてじっと考えながら、多摩川砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが、今さらのように自分の着ている小倉の洋服の脂垢に見る影もなく穢れたのが眼につく、私は今遠方シグナルの信号燈をかけに行ってその戻りである。
目黒の停車場は、行人坂に近い夕日が岡を横に断ち切って、大崎村に出るまで狭い長い掘割になっている。見上げるような両側の崖からは、芒と野萩が列車の窓を撫でるばかりに生い茂って、薊や、姫紫苑や、螢草や、草藤の花が目さむるばかりに咲き繚れている。
立秋とは名ばかり燬くように烈しい八月末の日は今崖の上の黒い白樫の森に落ちて、葎の葉ごしにもれて来る光が青白く、うす穢い私の制服の上に、小さい紋波を描くのである。
涼しい、生き返るような風が一としきり長峰の方から吹き颪して、汗ばんだ顔を撫でるかと思うと、どこからともなく蜩の声が金鈴の雨を聴くように聞えて来る。
私はなぜこんなにあの女のことを思うのだろう、私はあの女に惚れているのであろうか、いやいやもう決して微塵もそんなことのありようわけはない、私の見る影もないこの姿、私はこんなに自分で自分の身を羞じているではないか。
二
品川行きの第二十七列車が出るまでにはまだ半時間余りもある。日は沈んだけれども容易に暮れようとはしない、洋燈は今しがた点けてしまったし、しばらく用事もないので開け放した、窓に倚りかかってそれとはなしに深いもの思いに沈んだ。
風はピッタリやんでしまって、陰欝な圧しつけられるような夏雲に、夕照の色の胸苦しい夕ぐれであった。
出札掛りの河合というのが、駅夫の岡田を相手に、樺色の夏菊の咲き繚れた、崖に近い柵の傍に椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やらしきりに笑い興じている。年ごろ二十四五の、色の白い眼の細い頭髪を油で綺麗に分けた、なかなかの洒落者である。