TRENDIA CLASSIC
眞間名所
阪井久良伎
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三本松と繼橋
千葉縣市川町眞間に引退してから、最早滿三年に成る。友人桐ヶ谷洗鱗畫伯逝いて一年以上、話相手に乏しい余は、切めて史蹟名勝に依つて心を慰めんとするが、一向に趣味の上に心のない町の人々は、史蹟など念頭においてゐない樣である。明治六年習志野の演習へ行幸遊ばされた明治大帝が、その樹下を御通行の際「美事なる松よ」とお褒めになつた市川町の名物三本松も、其一本が盤屈して街道を横斷してゐるのを、下をコンクリートにし、その樹腹をトラツクの荷物で皮をむいて了つた故、とう/\責め殺されて枯れて了つた。手をつけると祟りが恐ろしいとかで、立枯のまゝになつてゐる。
余は三本松の時代放れした姿が氣に入つた。
トラツクにお辭儀をさせる松もあり
元日に三本松は見直され
等の川柳を詠んだが、昨今では、
繼橋は腐り三本松は枯れ
市川競馬だけのみに熱中する町の人々を吾人は反省させたく、いつも考へてゐる。
鬪犬と競馬の中で句を作り
繼橋は萬葉集東歌の中に下總國の歌として、
足の音せず行かん駒もが葛飾の
眞間の繼橋やまず通はん