TRENDIA CLASSIC
岩波文庫論
岩波茂雄
1 / 5
編集部より岩波文庫について語れとの話ですから、思いつくままを申し上げます。現在は文庫時代ともいってよいほど各種の廉価版が行なわれ、どこにおいても欲しいものが自由に求められることになっているが、今より十数年前は予約出版の円本が流行して一世を風靡したのである。この流行によって学芸が一般に普及した功績は認めねばならぬが、また一方、好ましくない影響も少なくなかった。特に編集、翻訳、普及の方法などにははなはだ遺憾の点のあったことはこばむことは出来ない。この流行に刺激されて、学芸普及の形式はかくありたいものだと小さい私の野心から生まれたものが岩波文庫である。岩波文庫を刊行するに際し、私が読書子に寄せた辞の
「近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態は姑く措くも、後代に貽すと誇称する全集が其編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。更に分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強ふるがごとき、果して其揚言する学芸開放の所以なりや。吾人は天下の名士の声に和して之を推挙するに躊躇するものである。」
という一節を読み直してみても、その激越なる口調に当時の流行に対しいかに私が反撥心を持ったかがわかる。良書を廉価にということは本屋として誰でも思いつくことであるが、私も学生時代に親しんだカッセル版、レクラム版のような便宜なものをいつか出したいと志してきた矢先、ちょうど円本の流行はこの念願を実現する動因となったのである。
○