TRENDIA CLASSIC

八月の霧島

吉田絃二郎

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夜の汽車から浪に映る宮島の燭を見ようと思つてゐたが、旅の疲れですつかり眠つてしまつて、眼がさめたころは夜はすでに明けてゐた。中国特有の低い砂山の松の間には赤い百合の花が咲いてゐた。芒の穂につつまれた磯の、広い塩田には朝の露が重く、まだ人の影一つ見えなかつた。

静かな朝の入り江は、低い砂山をめぐつてさらに眠りからさめたばかりの静かな入り江へとつづいた。潮に沿うて露重げに夾竹桃が咲いてゐた。

島の影が光り、海の色が磨き上げられたやうにかがやきはじめたころは汽車の窓からは下ノ関の山が見えた。

わたくしたちはステーション前の俥を雇つて壇の浦見物に出かけることにした。ステーションの前にも、波止場にも、市場にも白い服の朝鮮人たちが群をなして立つてゐた。真夏の日がぎらぎらとかがやいてゐた。殊に藁履のやうなものを穿いた朝鮮の女が、その夫らしい逞しい男の後ろから異邦人の間を、小胯で急ぎ足に歩いてゆく姿は旅人の心を惹きつけた。

二三日前の雨のために壇の浦に沿うた高い崖はくづれて半ば道を塞いでゐた。そこにも二三十人の朝鮮の人が、日本の工夫たちに交つて土を運んでゐた。

恰度退き潮だつたので早鞆の瀬戸は白い渦を巻いて流れてゐた。

二位の尼に抱かれて安徳帝が身を投げられたといふ海の上は道からわづかに三四十間とははなれてないところであつた。そこには赤い浮標がつながれてあつた。御裳裾川が流れてゐたといふあたりには、古びた二階建の家が七八軒も海に沿うて並んでゐた。崖の下の磯では二人の少年がしきりに貝をあさつてゐた。

四国の山であらうか、九州の山であらうか、縹緲たる煙波をへだてて波の上に横たはつてゐた。かつてそこでは恐らく幾万の人々がわめき叫んで、人の血を貪つたことであらう。戦旗が翻つたことであらう。人間のあらゆる光栄と、努力と、勇気と華やかさと、残忍さとが波の上に描き出されたことであらう。

黒い波のみが流れてゐた。岸の芒を吹く風は秋のやうに白かつた。

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