街で兄に遇った。走ってる電車のなかで新聞を読んでいた。ハンドルを持つ手が、赤く大きく、じろりと、とも子を見た。
「仕事をみつけたのかい」
いかにも疲れたらしい妹の恰好に眼をつけ乍ら、そう言った。とも子は黙って肯いた。スカートがべとべとからみつく様な疾風に逆いながら、一日ぐるぐる歩きまわった。訪問、契約、拒絶、報告、――。
「今度は何だい。また馘られんようにした方がいいぜ」
「今度のは大丈夫。何故? 余り金借りにゆかれると困るから?」
新聞を畳んでポケットへしまいながら、兄はにやりとした。組んでいたズボンの片方を降して、一寸、窓を振り返った。
とも子は挟みこまれたスカートを引っぱり、兄のカフスの汚れに目を止めた。土曜の此時刻には割に空いてる線だった。
「近頃、新聞を読んでるのかい」
「どんな新聞」
「ブルジョア新聞さ、俺の自動車の前でお婆さんがお叩頭しちゃったんだ、金持のご隠居だ相だが嫌になっちゃったよ。今度の争議の計画で会社側に睨まれてる最中だろう、いい解雇の口実を与えて了ったのさ、不利も不利――」
「お婆さんを――」とも子は複雑な唸り方をして、「そりゃ可哀相ね、まさか死にやしないでしょうね」
兄は聞えない振りをした。
「罰金で済むんでしょうね」
「さあ、まだ引掛かってるんだ――」
電車の中ではそれ以上のことは聞けなかった。兄は小指の先で耳が赤くなる程引かきまわした。カーブの所でぐっと声を高めた。――
「おっ母さんから便りがある?」
「あ、時々」
「近頃、金を送ってやれないでるんだ、そんな事情で。お前の方で何とかしてやっててくれないかな、その代りお前が首になった時には俺がやるよ」
とも子は笑い乍ら頷いた。それからは、時々肩をぶっつけ合って、黙って揺られた。二人の前へトランクを提げた男が立塞がった。
「今日は急ぐの? 久し振りにご飯でも食べようか――、そうか、じゃまたこの次にしよう、渡君に会ったら宜しくね」
そう言って、兄は交叉点へ降りて行った。
――母は癖で、布団をたたんだような恰好に平たく坐り、しょんぼり心の弱った眼をっているかも知れない、疲れているんだ。