TRENDIA CLASSIC

初代谷風梶之助

三木貞一

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前に谷風なく後に谷風なしと称さるゝ仙台の産、谷風梶之助は、蓋し江戸勧進角力あつてより、昭和の今日に至るまで、力士中の第一人者として、何人も否定する者なき名力士である。故記を案ずるに、此の谷風以前に谷風と称せる力士一二人あり。其の中の讚州高松の谷風梶之助といへるは、大阪に於て多年雄飛して殆んど敵するものなしと言はれし大力士であつたが、後に仙台の谷風出づるに及んで、前の谷風の名は世間に称さるゝこともなく、谷風といへば即ち仙台の谷風なりと了解さるゝ程であつて、其の名に谷風あつても其の実は谷風なく、終に谷風前に谷風なしとまで称さるゝに至つたのである。而して仙台の谷風没してより、今に至つて百数十年、其の人に谷風なきのみにあらず、其名にも亦谷風なし、之れ其の大名の憚つて之れを襲名するものなきに依るのである。

明治年間に、同じく奥州より出でし大砲万右衛門あり、六尺有六寸の巨躯横綱力士となりし日、仙台の某家に伝来する谷風の遺物を贈る者あり(弓、横綱、肖像等にして今は上野博物館に在り。)其の同国と遺物に因んで谷風を襲名することを勧誘すること頻りであつたが、大砲は其の大名に当らざることを考へ、自から固辞して其の襲名を断つたことがあつた。又同国の出身力士駒ヶ嶽に対しても、その襲名を勧誘せる者ありしが、駒ヶ嶽も亦固辞して其襲名を憚つた実例がある。斯くの如くにして谷風以後に谷風なしと称さるゝに至つた。