日を愛しむ
本文約20,800字 ・ 読了時間 約42分
あらすじ(AIが作成しました)
乳癌の手術と放射線治療を受け、退院して帰宅した妻の素子と、その夫である語り手の日々を描く。治療を経てもなお消えない再発の恐怖や肉体の衰えに向き合いながら、家族との穏やかな団欒の時間を過ごす。しかし、闘病生活が続く中で妻の身体は過酷な現実を見せつけ、夫は日常の中に潜む絶望や恐怖と格闘する。死の予感に怯えつつも、穏やかな日々の営みを愛おしみ、妻の傍らに寄り添い続ける夫婦の姿を綴る。
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妻、素子が退院し、二ヵ月振りでわが家へ帰ったのは、四月中旬のことである。曇った日で、門前の吉野桜の花はすっかり散り落ち、枝には赤い萼が点々と残っている。素子は桜の梢の方へ目を遣ってから、門を入った。玄関では、満八十二になる、私の母が背を円くして、その妻を迎えた。私は運転手と自動車から荷物を運んだ。
素子は乳癌にかかった。その上、発見が遅れたため、癌は腋下から頸部にまで転移してい、二度の手術と、放射線の治療を受けた。しかし放射線の照射量が人体にかけ得る限度に達したので、一まず退院が許されたまでである。素子の顔に格別喜色が浮かばないのも当然である。
現在の医学では、癌に関する限り、全治ということを考えてはならないのかも知れない。先年、私も上顎腫瘍にかかり、入院して、放射線の治療を受けた。以来、既に二年以上になる。しかし未だに病院通いを止めることは許されない。妻もあの凄惨な癌病院から辛うじて逃げ帰ったが、漸く目前の危機を脱し得ただけである。あの恐しい奴は妻の体内で、暫く息を潜めているに過ぎないのかも知れぬ。いつまた暴れ出さないとも限らない。
しかし私はやはり嬉しかった。今夜は妻が坐るべきところに、妻が坐っているのである。老母もいる。三人の子供も妻に呼ばれ、食卓についている。私が差し出したコップに、妻はビールを注ぎ、更に自分のコップにも注ごうとする。
「おや、ビールはいけないよ」
「ほんの、一杯だけ」
気丈な妻も自分の退院をやはり祝おうとするのか。哀れである。
「じゃ、きっと一杯だけだよ」
二人は乾杯する。乾いた喉に極めて快い。が、次ぎの瞬間、そんな行為がひどく馬鹿らしく思われた。不意に、激しい寂寥感が込み上げて来る。