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TORENDIA

青銅の基督

本文約66,200字 ・ 読了時間 約133分

あらすじ(AIが作成しました)

徳川幕府による禁教政策が強まり、切支丹の根絶が図られる寛永十五年以降の長崎を舞台にする。南蛮鋳物師の萩原裕佐は、かつて転びばてれんと呼ばれた異国人と接触し、思想や信仰の狭間で揺れる人々の葛藤に直面する。歴史の転換期において、切支丹信仰をめぐる重苦しい情勢の中で、一人の職人の生き様と、当時の日本が抱えた緊張感や狂気を浮き彫りにする物語である。

長与善郎

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はしがき

父秀忠と祖父家康の素志を継いで、一つにはまだ徳川の天下が織田や豊臣のように栄枯盛衰の例にもれず、一時的で、三代目あたりからそろそろくずれ出すのではないかという諸侯の肝を冷やすために、また自分自らも内心実はその危険を少なからず感じていたところから、さしあたり切支丹を槍玉にあげて、およそ残虐の限りを尽くした家光が死んで家綱が四代将軍となっていたころのことである。

実際、無抵抗な切支丹は、いわゆる柔剛そのよろしきを得て、齢に似合わずパキパキと英明ぶりを発揮して、早くも「明君」といわれた家光が、一方「国是に合わぬ」ことはどこまでも厳酷に懲罰して仮借するところがないという「恐ろしさ」を諸侯に示すには得やすからざる好材料であった。「なんといってもまだあの青二才で」とたかをくくって見ているらしく思われた諸侯たちを、就職のとっ始めから度肝を抜いてくれようと思っていた若将軍の切支丹に対する処置の酷烈さと、その詮索し方のすさまじい周到さとは、たしかに「あわよくばまた頭をもたげる時機も」と思っていた諸侯の心事を脅かし、その野望を断念せしめて行くにはきき目は著しかった。奥羽きっての勢力家で、小心で、大の野心家であった伊達政宗さえ、この年少気鋭な三代将軍の承職に当たって江戸に上った際、五十人の切支丹の首が鈴が森ではねられるのを眼のあたり見て、そのヤソ教に対する態度をガラリと変えたほどであった。

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