TRENDIA CLASSIC

喜多村緑郎

1 / 4

人として一つの癖はあるものよ、吾れにはゆるせ敷島の道。……これはよく落語家が枕にふる言葉ですが、……無くて七癖、有つて四十八癖、といつて誰にもあるんでせうが、さうなるとわたしには、夜更をするのが癖の一つでした、……わたしの若い時分の時間でいふと十二時頃寝るのは罪悪のやうな気がしたもんです。それで居て朝寝坊は厭ひでしたから……恐らくまづ寝る間は三四時が関の山でしたらう、……最も現在でも一晩や二晩の徹夜なら平気です。でも此のせつでは五六時間は眠ります。が、まあ夜ふかしの方でせう。そのかはり昔から枕につくと殆どすぐ眠れます。

さういつた訳合ひで、昼間随時に居眠ることが多いんです。稽古場の読合せなどの時さへ一寸でも間があると、台詞書を膝に開げたまゝで夢の国へ遊びに行きます。ですから、一座のものには、そのポーズが居眠りをして居ると分つて居ても、わたしは俗にいふ船を漕ぐといふ方でなく、不動の姿勢で居るために、その習慣を知らないものにはさらに気がつかないんです。ところが、その延長で舞台でも眠る悪る癖がありました。

武士は轡の音で目を覚ますの喩で、正にいざといふ時には不思議に目が醒めますね。詰り神経は眠つて居ないんでせう、……でもさういふ時はキツカケが何秒かは遅れるので、一緒に出て居る者には多少迷惑をかける訳になりますが、自分にとってはかういふ時ほどいゝ気持ちで眠つて居る時なんです。尤もさういふ時は必ず其処に眠るだけの隙もあるからでもありますが……

一々話て居ては切りがないので、一つ二つ書くことにしませう、ですが此の最初のものは、これまでにもよく話題になつて居るので御存じの方もあると思ひますが、とにかく年代順としつゝ掻いつまんで御披露しませう。

これは明治三十四年の二月、大阪の朝日座に一座を組織して居た時代、徳冨氏の「不如帰」を脚色して始めて上演した時のこと、その大詰の「浪子臨終の場」の出来ごとなのですが、筋を少し書かないと模様がはつきりしないので、その一端を示すとしませう。

喜多村緑郎の他の作品