TRENDIA CLASSIC

青銅の基督

長與善郎

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父秀忠と祖父家康の素志を継いで、一つにはまだ徳川の天下が織田や豊臣のやうに栄枯盛衰の例に洩れず、一時的で、三代目あたりからそろ/\くづれ出すのではないかと云ふ諸侯の肝を冷やす為めに、又自分自らも内心実はその危険を少からず感じてゐた処から、さし当り切支丹を槍玉に挙げて、凡そ残虐の限りを尽した家光が死んで家綱が四代将軍となつてゐた頃の事である。

実際、無抵抗な切支丹は、所謂柔剛その宜しきを得て、齢に似合はずパキ/\と英明振りを発揮して、早くも「明君」と云はれた家光が、一方「国是に合はぬ」事は何処迄も厳酷に懲罰して仮借する処がないと云ふ「恐ろしさ」を諸侯に示すには得易からざる無難な好材料であつた。「何と云つてもまだあの青二才で」と高を括つて見てゐるらしく思はれた諸侯達を、就職のとつ始めから度胆を抜いてくれようと思つてゐた若将軍の切支丹に対する処置の酷烈さと、その詮索し方の凄まじい周到さとはたしかに「あはよくば又頭を擡げる時機も」と思つてゐた諸侯の心事を脅し、その野望を断念せしめて行くには効き目は著しかつた。奥羽きつての勢力家で、小心で、大の野心家であつた伊達政宗さへ、此年少気鋭な三代将軍の承職に当つて江戸に上つた際、五十人の切支丹の首が鈴ヶ森で刎ねられるのを眼のあたり見て、その耶蘇教に対する態度をガラリと変へた程であつた。