TRENDIA CLASSIC
その日のこと〔
『少年』〕
牧野信一
1 / 1
たゞぼんやりと――自分は安倍さんの顔を瞶めた、必ずや自分の顔も安倍さんと同じやうに蒼然と変つてゐたに違ひない――大正十年三月五日午後二時十分――ちよつと自分はテーブルを離れて、どこだつたか歩いてゐた、さうしてテーブルのところへ帰らうとして、ストーブの前へ来た時、向方から慌しく駆けて来た安倍さんが、
「アツ……君々、大井君が死んだとさ……」
「えツ?」まさか、そんなことはあるまい、――と自分は思つた。
「青山へ電話をかけて、直ぐに行かう……」
「では山口さんに」と呟きながら自分は山口さんを探しに行つた。何だか、嘘のやうな気がしてならない、さうしてこの驚きを山口さんに知らして――さうしてまた山口さんの驚きの顔を見ることが堪えられないやうな気がした。
漸く店に山口さんを見附け出した自分は、
「……山口さん、山口さん、アノ……大井さんが……」と自分は漸く伝へることが出来た。それを云つて了つて自分はこれは大変なことになつた、といふ気持が初めてピツタリと感ぜられて来た。
それから先のことは自分は書くことも堪へられないのである。――逗子には安倍さんが行くことになつた。――自分達は怖ろしい夜の中で、未だ望みを持ちながら切りに待つた。笑ひ顔の大井さんより他想像出来ぬ自分は、笑ひ顔の大井さんを想ひながら――。
「ヤア、心配かけて済まなかツた。」と云つて帰つた時、自分は何と云はうかしら――自分はそんなことだけを考へてゐた。
――――――――――
今自分は名状し得ぬ寂しい気持で、このペンを握つてゐる。さうして何にも書けないのである。自分の隣りに並んで居るテーブルと椅子……埃りが溜つてゐる。インキ壺、硯箱、ペン……「お前達は孤児になつたな。」……自分は今凝と其の方を眺めてゐる……。(三月十八日午後)
牧野信一の他の作品
TRENDIA CLASSIC
今年発表の作品
牧野信一
今年発表の作品
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
〔作者の言分〕
牧野信一
〔作者の言分〕
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
自己紹介
牧野信一
自己紹介
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
十年ひと昔
牧野信一
十年ひと昔
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
昭和十年度に於
いて最も印象に
残つたもの
牧野信一
昭和十年度に於いて最も印象に残つたもの
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
昭和四年に発表
せる創作・評論
に就て
牧野信一
昭和四年に発表せる創作・評論に就て
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
処女作の新春
牧野信一
処女作の新春
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
推奨する新人
牧野信一
推奨する新人
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
一九三二年に計
劃する
牧野信一
一九三二年に計劃する
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
一九三〇年型
牧野信一
一九三〇年型
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
〔同人雑記〕
牧野信一
〔同人雑記〕
牧野信一 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
南風譜・梗概
牧野信一
南風譜・梗概
牧野信一 ・ 約1分