僕は、これで、白足袋といふものは、未だ嘗てはいたことはないんだぜ――。
久保田氏は、往来に出ると、さういふ意味のことを、もつと歯切れのいゝ言葉で、だがいかにも何らかの弁明らしくティミッドな調子で、突然ポンと云つた。さう云はれたので初めて私が久保田氏の足もとに眼を注ぐと、そこにはちやんと雪白の足袋を着用した足が性急に運ばれてゐるのである。私はもう少しで「ぢや、それはどうしたの?」と訊き返すところだつた。此方は、大の迂闊者である。にも関はらず万太郎氏は、此方の眼識を重んじて(?)往々それに類する正直な弁明を発しては、此方をぽかんとさせる人だ。
「途中で紺足袋を買つてはき換へるつもりさ。どうしてこの儘芝居へなんて行けるものか!」
「なるほど。」と私は点頭いた。「足袋が気になつて、批評が反れては困るだらう。」
「役者に気の毒をしてしまふ――」と万太郎氏は笑ひながら云つた。この日は、芝居の合評会へ行くのださうだつた。(筑波台から本郷まで私たちは歩いてしまつた。)
万太郎氏は、歩くのは得意だと云つた。なる程、胸を張り出し、歩調は大まかのやうでスタスタと速いことだ。たしかに闊歩のかたちだ。それに歩なみをそろへるには、私は軽い努力をしなければならなかつた。私も、歩行ののろい部類の人間ではない筈なのだが。私は、「ソマトーゼ飲まぬ人」の如く細く、万太郎氏はその反対なのに。
「本郷に非常に古風な足袋屋があるんだよ。そこで買ひたいと思ふ。」
「なるほど。」と、また私は呟いた。
「女房の奴、俺の白足袋の姿をひやかして、タイコモチのやうだと云つた。」
「ハッハッハ。」と私は好意を持つて笑つた。「そのことをひやかしてゐたのか、僕にもさつきその声は聞えたけれど、何のことだか解らなかつた。」
「――洋服にかぎる!」
「あなたのその和服姿はなか/\立派だ。」
「君こそ白足袋をはいたことはないだらうね。」
「結婚式の時も僕はたしか白足袋をはかなかつたやうに覚えてゐる。」
「それは誇張だ!」
「……白足袋、黒足袋なんて区別を、そんなに考へたこともない。」
「野蛮だなア!」