本文へ移動
TORENDIA

朝居の話

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

十二月の初め、蜜柑山で暮らす語り手の前に、絵かきの朝居閑太郎が現れる。長らく絵具を手に取れずにいた閑太郎は、窮状を訴え、絵への渇望を露わにする。語り手は支援を申し出て、閑太郎は一心不乱に制作へ没頭し始める。やがて春を迎え、都での個人展覧会を志す閑太郎は、語り手に自身の絵への感想を求めた。語り手は、そんな不思議で情熱的な青年画家の生活と芸術への姿勢を追いつつ、彼を都の友人たちに紹介しようと試みる。

牧野信一

速度
🎧 朝居の話 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 3

去年の十二月のはぢめ頃だつた。

あたゝかく、風のない朝、十時時分、僕は蜜柑山の芝のスロウプに腰かけて、海を眺めてゐると、絵かきの朝居閑太郎が、僕の妻に案内されて、僕の前に立ち、情熱のこもつた息苦し気な調子で、そして対者に遠慮する微笑を浮べて「エカキが――」と云つた。続く言葉は解つてゐるのだが、息せき切つて駆けつけた伝令兵のやうに声が出ないといふ風なのである。そして、漸く発言した。……「エカキが長い間絵具を持たぬと、キチガヒになるとかと……」

僕は閑太郎の眼を見て点頭き「閑太郎――」と唸り……そして妻に、吾々を得意とする町の文房具店に命じて閑太郎が望むがまゝの上等絵具をとつて呉れ――と云ふと、妻は、僕の肩からガウンを脱ぎとり、それにくるまり、何時も僕がするやうに、下のキヤベツ畑まで、「橇滑り」で滑り降り、村長の家へ電話をかけに行つた。

「それは好いね。」

閑太郎は僕の姿を眺めて云つた。僕は、無性から、ドテラの代りに使つてゐるアメリカ、インヂアンのガウンを、村だから関はず内でも外でも着続け、帽子はあの鳥の羽根のついた冠りなのだが、

「僕も欲しい――」

「未だ、あるからやらう。」

「青森から着いたのだ、今朝――」

「いつかの夏、君を海で知つた時の……」

「うむ、あれから、今迄これツきりの格構で……」

「三年前の夏だつたかね。」

「あの時新しかつたこの洋服は斯んなボロになり、靴は、斯んなになり――」

「ずつと勉強してゐたんだね、僕もずつと勉強を続け……」

「皆は読み――知つてゐる、でもそんな着物があれば寒くはなからう?」

「寒くはない、その上、いろ/\とこれは便利だよ。こちらに居る間、これを着て、折角やりかけた画を続け給へ。」

閑太郎はポケツトからホワイト絵具を二本つかみ出し、弄んでゐる。「ポケツトにはこれ以外に……」

牧野信一の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本