TRENDIA CLASSIC

僕の運動

牧野信一

1 / 2

僕は田舎にゐると毎朝毎夕欠かすことなく不思議に勇壮な運動を試みます。運動には相違ありませんが僕のは体育や精神修養やの目的ではなくて、朝は竜巻になつて襲ふて来る煙りに似た悲しみと闘ひ、夕べは得体の知れぬ火に似た情熱に追はれて奮戦し――といふ風な孤独の騒ぎで、だから僕は馬に乗る、オートバイで駆け廻る、フエンシングの練習をしてゐる、棒高飛びをする、機械体操を試みる、大酒を喰ふ、舟を漕ぐ、夫婦喧嘩をする、美女を追ひ廻す、水泳を行ふ……等と種々様々な活動をしますが、以上挙げたもののうちの幾つかは別としても、僕のは決してノルマルな型をもつて技に従ふといふのではなくて、自分では解りませんが、おそらくその姿のだらしなく、醜く、若し眺める者があれば噴飯の値もなく忽ち顔を反むけるに違ひないのです。「最後の一句を元気よく合唱して呉れ給へよ。」と云ひながらアウエルバツハの酒場で不良学生が「毒を呑んだ鼠」の歌を唄ふところが僕の不断に愛読する「フアウスト」の中にあつて、鼠が「苦痛に堪へ兼ねここかしこ、掻きりては噛み囓り、悶え悶えて跳ね狂ひ、甲斐なく萎れて倒れしは、恋に焦れて悶ふるやうに――。

合唱――恋に焦れて悶ふるやうに……」

「息も切れ切れ絶え絶えに、炉のほとりにまろび伏す……恋に焦れて悶ふるやうに、(合唱)恋に焦れて悶ふるやうに――」

何とか何とかを「知らずに食べて七転八倒、恋に焦れて悶ふるやうに、(合唱)恋に焦れて悶ふるやうに……」――で、僕の運動は、まさしく、この歌でうたひはやされるべき類ひのものなのです。その上僕は、この歌をいつの間にかそらんじてしまつて(この如く、僕は今東京の友達の家の二階に滞在して、友達の机に凭つてこれを書いてゐるのですが、何とまあ節朗らかに、こいつを口吟みながら――)僕は、稍ともすれば口のうちで恰も覚へたての流行歌のやうに口吟むのが癖になつてしまひました。節は、その時その時に依つて変り、知る限りの唱歌、寮歌の節で口吟みます。

牧野信一の他の作品