一ぺん朝はやく起きたのであつたが、ゆうべから読みかけてゐた「ライネケの話」といふおとぎばなしを感心しながら読んでゐるうちに、うと/\してしまつて風谷龍吉君に起されると、お午だつた。風谷君はこのあひだうち水戸へ行つてゐた時から知り合ひとなつた高等学校の生徒である。古いアメリカ版のお伽ばなし集で、作者の名前が誌してないのだが、どうもこれはゲーテ作のやうな気がするので、龍吉君に質問したが知らぬといふ。挿絵が気に入つたと云つていつまでも龍吉君はそれを手から離さぬので進呈する。
間もなく子供が学校から帰つて来て、おばあさんから手紙が来てゐるので、これから小田原(故郷)へ行くのだといふ。なるほど五月のお節句かと気がついた。ちかごろ母との便りの往復は子供ばかりである。家内が土産ものをあれこれと苦労するのだが、何も買へさうもないのでだまつてゐた。龍吉君は二階でごろりとして雑誌を読んでゐるので、子供をおくりかた/″\外へ出る。汽車など平気だと子供が云ふので、田町九丁目で別々のバスに乗る。新橋で降りて文藝春秋社へ赴く。武内君に会つて、ひとから頼まれてゐる出版の校正についてはなしをする。ライネケのことを多田君に訊ねると、やはりゲーテだらうといふ答へをうけ、想像したことがうまくあたつたと思つて、非常に愉快になつた。直ぐにうちへ帰つた。筍の皮をむいてゐる家内が帰りのはやいことにおどろいた。やはり水戸の学生である大津八郎君が来てゐて龍吉君とトランプを戦はせてゐた。八郎君は苦学生で何か仕事はないかといふのであつたが、いくら考へても見当がつかなかつた。筍と豆腐とで晩めしを喰ひ、勝手口に錠をおろして芝浦へ散歩に行く。貨物船を見る。サーカスを見ておもしろかつたといふと龍吉君と八郎君が這入りたい這入りたいといふので五十銭の切符を買つてやる。