これに出てゐる「十二時」といふ小説は、姉のだよと十郎が僕の机の上にあつた「三田文学」を指さしたので、僕はおどろいてそれをとりあげ、早速その場でその小説を読みはぢめたときのことを僕は今でもはつきりと思ひ出せるのだ。僕らが二十歳になつた頃であるから凡そもう二十年に達しようとするむかしのことだが。「十二時」といふ好短篇は、お午の十二時の食卓を囲んで健やかな大勢のきようだいが談笑にふけつてゐるさまを至極さわやかな筆致で淡々と描いたスケツチ風のもので人物の名前なども在りのまゝに「善九郎さん」「十郎さん」といふようになつてゐて、僕はその時あらためて眼の前にゐる十郎の顔とその文章を見くらべて水々しいろうまん的な夢をさそはれたことを今でも憶ひ出せるのだ。その文章の詳しいところはそれよりほかにはおぼえてゐないのであるが、徹頭徹尾平凡であるといふわけではなしに読む者に、たゞさういふ類ひの感じを与へるといふ文章といふものゝ方が、むしろ斯んな突調子もない人物が現れて、こんな事件がおこり、深刻であつたといふ風なものより、僕は好きであり、そしてその「十二時」といふ作品がなつかしいものであつたことを、今でも想ひ回らせるのである。
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それまでに、僕はたま子夫人にお目にかゝつたことが、あつたのか何うか、その時も僕は知らなかつたが、僕がそれよりも、もつともつとちいさくサーベルなどをさして威張つてゐた時分から、母がしばしば、たまちやん、たまちやん――とうわさして、たまちやんといふ母の若い友達が稀な秀才であるといふ印象は持つてゐた。そして夫人が、未だ夫人ではなくて、お茶の水の学生であつたことを、知つてゐたようであつた。むかしの新橋の停車場で母が、ひとりの女学生と手をとりあつてさかんにはなしてゐて――それから銀座を散歩をしたか、母には他にはそのやうな若い友達がなかつたらしかつたから、その学生がひよつとするとたま子夫人だつたのかも知れない。だが、その時の僕にははつきりとした印象はなかつたので、小説に出遇つても夫人の姿を想像することはできなかつた。
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