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TORENDIA

「三田文学」と巌谷夫人

本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

三田文学に掲載された短編「十二時」を巡る回想や、その著者である巌谷夫人との交流を綴る。執筆者である著者は、十郎を通じて知り合った夫人が執筆した「十二時」が醸し出す爽やかで夢のような雰囲気に感銘を受けた記憶を辿る。その後、夫人の家での同人雑誌の活動や自身の作品朗読の経験を回顧し、若き日の自分を優しく受け入れ、慈しんでくれた夫人の人柄と、今なお心に残り続けるその作品の思い出を情緒的に描き出す。

牧野信一

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🎧 「三田文学」と巌谷夫人 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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これに出てゐる「十二時」といふ小説は、姉のだよと十郎が僕の机の上にあつた「三田文学」を指さしたので、僕はおどろいてそれをとりあげ、早速その場でその小説を読みはぢめたときのことを僕は今でもはつきりと思ひ出せるのだ。僕らが二十歳になつた頃であるから凡そもう二十年に達しようとするむかしのことだが。「十二時」といふ好短篇は、お午の十二時の食卓を囲んで健やかな大勢のきようだいが談笑にふけつてゐるさまを至極さわやかな筆致で淡々と描いたスケツチ風のもので人物の名前なども在りのまゝに「善九郎さん」「十郎さん」といふようになつてゐて、僕はその時あらためて眼の前にゐる十郎の顔とその文章を見くらべて水々しいろうまん的な夢をさそはれたことを今でも憶ひ出せるのだ。その文章の詳しいところはそれよりほかにはおぼえてゐないのであるが、徹頭徹尾平凡であるといふわけではなしに読む者に、たゞさういふ類ひの感じを与へるといふ文章といふものゝ方が、むしろ斯んな突調子もない人物が現れて、こんな事件がおこり、深刻であつたといふ風なものより、僕は好きであり、そしてその「十二時」といふ作品がなつかしいものであつたことを、今でも想ひ回らせるのである。

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それまでに、僕はたま子夫人にお目にかゝつたことが、あつたのか何うか、その時も僕は知らなかつたが、僕がそれよりも、もつともつとちいさくサーベルなどをさして威張つてゐた時分から、母がしばしば、たまちやん、たまちやん――とうわさして、たまちやんといふ母の若い友達が稀な秀才であるといふ印象は持つてゐた。そして夫人が、未だ夫人ではなくて、お茶の水の学生であつたことを、知つてゐたようであつた。むかしの新橋の停車場で母が、ひとりの女学生と手をとりあつてさかんにはなしてゐて――それから銀座を散歩をしたか、母には他にはそのやうな若い友達がなかつたらしかつたから、その学生がひよつとするとたま子夫人だつたのかも知れない。だが、その時の僕にははつきりとした印象はなかつたので、小説に出遇つても夫人の姿を想像することはできなかつた。

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