「学生警鐘」と風
本文約6,100字 ・ 読了時間 約13分
あらすじ(AIが作成しました)
奥州を旅する途中に高熱で伏した小説家は、吹き荒れる風に翻弄されながら「お師匠さんが欲しい」と呟く。やがて義妹夫妻の仲介で、天狗流を継承する武徳殿の剣道家Z先生と引き合わされた。彼は小説の創作と生活の矛盾に苦しむ自身の内面を、かつて見かけた「学生警鐘」の鐘楼や、Z先生の鍛錬する姿に重ね合わせ、志気を鼓舞する何かを追い求めていく。熱が引くのを待ちつつ、次なる地への旅立ちを画策する一人の男の心境を描く。
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氷嚢の下
旅まくら
熱になやみて風を聴く
とり落した手鏡の
破片にうつる
いくつものわが顔
湖はひかりて
ふるさとは遠い
*
夜をこめて吹き荒んだ風が、次の日もまたその次の日も絶え間もなく鳴りつづけてゐるといふ――そのやうな風に私はこの町ではぢめて出遇つた。硝子戸を隔てて軒先から仰ぐ灰色の空に花びらが舞ひあがつて雪のやうである。まくらもとに迷ひこんで来たひとひらを拾つて見ると、梅である。まだ、そんな花が咲きのこつてゐるのかとあやしまれる。――鳴動する部屋の隅に倒れて、八度六分の熱に浮されてゐる。風は私の魂までも粉々にして、花びらといつしよに空高く巻きあげてしまつた。どこまで飛んで行つても、一片の言葉にも出遇はない。口のなかでは氷のかけらが忽ちとけてゆく。
義妹夫妻がここに赴任してゐるので、一両日のつもりで途中下車をこころみたのであつたが、この有りさまでは切符の期間も切れさうだ。消えてゆく雪の風景を眺めながら奥州を一巡して、麦藁帽子の頃に帰京するつもりなのであるが、このあしこしの立つのを待つうちには、さすがの奥州路もやがて爛漫たる春と化してしまふであらう。
*
私はあの時、風の吹き荒む丘の端にうづくまつて湖を見おろしてゐた。風のいきほひで言葉は恰で通じさうもなかつたから、弟も妹もそして私も無言のままで湖と停事場と汽車を見降してゐた。弟の口先からこぼれる莨の煙りが、走る列車の窓で喫ふ煙りのやうに瞬時に消えた。まつたく私の心は飛び散るがままの花びらであつた。
「ああ、お師匠さんが欲しいよ!」
*
「お師匠さんが欲しいのだよ!」
どこまで追ひかけても、つかまへることも、見ることも出来ない風のくるめきに私は昏倒しかかつて救けを呼んだ。ひとり言を呟いだ。その時以来、このひとり言がすつかり口癖になつてしまつて、煙草のやうに、ウワ言にまでも繰り返してゐるのだが、それには勿論ひとに説明できるやうな意味があるわけではなく、ただあまりのたよりなさに不意と口吟んだ口笛に等しかつたのであるが、うつかりと呟く間に、弟達に屡々聞きとられてゐたのであつた。
「お師匠さんはもうお見えになつてゐる頃でせうよ。」
「はやく行つて見ませう。」