一
この間うち、東京へ行つてゐた時、不図途上で、坪田譲治氏に出遇つた。坪田氏とは、会合などの時に二三度お目にかゝつたくらゐで、大森にゐたころ訪問を享けたこともあつたが、わたしがあちこちを転々としてゐるために、機会を得たいと思ひながら、その折を見出せなかつた。といふのは、わたしは坪田氏の作品は可成り久しい前から、主にその短篇を折に触れては愛読し、余程の親しみを感じてゐたので、大森でお目にかゝつた時にも満腔の悦びを感じ、却つてはなし足りぬものを覚えて、やがて、うらゝかな田甫道などを鳥や草や魚のことなどを語らひながら漫歩のかなふ日を自然と期待するやうな夢を抱いたのである。わたしは動ともすれば酒を飲むより他には何の能もなく、病気になどなつて、それがかなはぬやうな状態になど出遇ふと、全く何うすることも出来なくなり、その癖、人里離れた森蔭の水車小屋に住んだり、灯台のあかり一つより他には、自分の咳ばらひだけで人の気はひもない島の崖ぶちにラムプを灯したりしてゐるのであつたが、さて、たつたひとりで、杖でも曳いてあちらこちらを歩いて見ようかといふ段になると、何故か――といふよりも、それは未だ自分にさういふ折々の途方もない哀しさや忙しさに堪えるほどの胸が不足してゐるのだと思ふのであるが、どうにも漫然たる自分の姿を風物の中に手離すのが適はなくなつてしまふのであつた。それだけにわたしの孤独への憧れは一段と逞しく翼を伸べるわけでもあつた。自分のやうに、にぎやか好きな男にとつては、在りのまゝなる孤独に堪えることより他には、烈々たる寒風に吹き荒まれて目のあたりに魂を引き千断られる思ひの切実なる寂寞と、澎湃たる絶望感とに沈湎して骨にならぬ限りは拓かるべき道もないとおもつてわたしはあのやうな山径ばかりを転々としてゐるのであるが、何処に住んでも到底心から、身をもつて風物に溶け込むだけの雅量が見出し難かつた。