TRENDIA CLASSIC

半島の果にて

牧野信一

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神妙な療養生活がどうやら利きめがあらはれて、陽気もおひおひと和んで来ると、酒の有りがたさが沁々と感ぜられるのである。やはりわたしは、わらはうとおもへば、どうやらわらふことも出来さうな風来の大酒家であり、若しも陶然としてさへゐれば、何処に住んでも胡蝶物語の夢想兵衛であるらしい。この間、わたしの近年の幻想的なる作品が、マンネリズムにおち入つて云々といふことを尾崎士郎君が好意と憐れみをもつて鞭撻してゐたが、わたしはこの四五年の間のいくつかの自作を回想して、さうとはおもはぬのである。それらの幻想的なるものは、いつもそのひとつひとつが絶対なる、認識し得られる限りの、形似上学的、物理学的なる無辺の宇宙の、夫々一片の花びらであつて、現実派の所謂経験的作品の如く、その経験的なる前後の脈絡ともいふべき、換言するならば凡そマンネリズムなる救ひが、見出し得ざればこそ、稍ともすればぽつこりと無明の谷底に転落するのだ。わたしには、例へばきのふの恋愛経験を、直ちにけふの作品として芸術化する手腕がなく、またいづれにしても芸術の目的は、経験を超絶したる、在り得ざりしことながら、在り得べきと感ぜらるゝ色彩の島へ――と希ふ心のみが切なるものである。

斯ういふことを呟くと、わたしは大演説がしたくなる。だが演説だとか議論だとかは、或る場合にのみ限られたる単なる生活上の方便であると思ふのだ。

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