半島の果にて
本文約1,000字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
療養中の著者が、酒を飲みながら自らの創作姿勢について綴る。幻想的な作品を無辺の宇宙の一部と捉え、経験をそのまま芸術化する現実派とは異なる立場を強調する。芸術の目的は経験を超越した島を目指すことにあると説き、創作の核心には自身の理想であるピグメリアンを育てる思いがあることを明かす。春先の静かな島の夜、酒に酔いながら孤独の中で自身の内面世界と芸術観を深く洞察する随筆である。
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神妙な療養生活がどうやら利きめがあらはれて、陽気もおひおひと和んで来ると、酒の有りがたさが沁々と感ぜられるのである。やはりわたしは、わらはうとおもへば、どうやらわらふことも出来さうな風来の大酒家であり、若しも陶然としてさへゐれば、何処に住んでも胡蝶物語の夢想兵衛であるらしい。この間、わたしの近年の幻想的なる作品が、マンネリズムにおち入つて云々といふことを尾崎士郎君が好意と憐れみをもつて鞭撻してゐたが、わたしはこの四五年の間のいくつかの自作を回想して、さうとはおもはぬのである。それらの幻想的なるものは、いつもそのひとつひとつが絶対なる、認識し得られる限りの、形似上学的、物理学的なる無辺の宇宙の、夫々一片の花びらであつて、現実派の所謂経験的作品の如く、その経験的なる前後の脈絡ともいふべき、換言するならば凡そマンネリズムなる救ひが、見出し得ざればこそ、稍ともすればぽつこりと無明の谷底に転落するのだ。わたしには、例へばきのふの恋愛経験を、直ちにけふの作品として芸術化する手腕がなく、またいづれにしても芸術の目的は、経験を超絶したる、在り得ざりしことながら、在り得べきと感ぜらるゝ色彩の島へ――と希ふ心のみが切なるものである。
斯ういふことを呟くと、わたしは大演説がしたくなる。だが演説だとか議論だとかは、或る場合にのみ限られたる単なる生活上の方便であると思ふのだ。