わたしのうちには頭のやまひの血統があるといふことだが、なるほど云はれて見るとわたしの知る限りでも、父親の弟を知つてゐる。つまりわたしのほんとうの叔父であり、医学士であつた。誰よりも子供のわたしと仲が善くて、学生時代から彼は何彼につけてわたしを愛しみ、父のやうであつた。わたしの父はわたしが生れると間もなく外遊してわたしが十二三のころ一度帰朝し、また間もなくその後も二三年おきには外国の旅へばかり出てゐたのであるが、はぢめてわたしは父を見た時、あれは何処の人? と母に訊くばかりで決してお父さん! などゝ呼べもしなかつた。だつて写真でいつも見てゐるではないか、と母がわらつても、どうも写真とは違ふようだとわたしは空呆けるばかりで、一向なぢまうともしなかつたとか、ついこの間も母は何かわたしをからかふような調子で憶ひ出したりした。で子供の折のわたしの記憶には余程あの医者叔父の姿がはつきりしてゐるのである。その叔父が学校を終へて医者になつたはぢめての夏だつたさうである、わたしは六つだつたかで、自分では憶へてゐないのであるが、叔父に伴れられて釣舟を沖へ漕ぎ出した折、わたしはどうかしたハズミに海の中へ堕ち、危ふくそのまゝになつてしまふところを船頭が慌てゝ救けたのださうである。戻つて叔父が皆なから詰問されると、彼はひどくとり済して「なあに、僕がちやんと法を結んでゐたから大丈夫さ――」
と答へ、夫がそもそもの病気の発端だつたさうである。わたしは少々薄ぼんやりの児であつたらしいのだが、どうやら常態の時よりも「非常時」である間の彼の方が遊び相手には至極おもしろかつたような記憶が、いろいろとよみがへつて来るのだ。たしかに、それは左うに違ひあるまい。あの病気の人は(様々な種別もあるには違ひないが)すつかりメルヘンの王様や魔法使ひや大将軍に成り終せてゐるんだから、子供にとつたらこれ程愉快な相手はあるまい。