道夫は友達の好き嫌ひといふことをしなかつたから、誰とでも快活に遊び交はることが出来た。従つて随分沢山な友達があつた。然し道夫がその大勢の友達の中で、真実自分の心の友である、と思つて居るのはたつた一人の沢田だつた。どういふものか道夫は沢田が好きだつた。沢田といふ友達を広い世間から見出した事は、それが偶然であればある程、道夫は自分を幸福だと思はずには居られなかつた。沢田を知らなかつた日を思ふと、現在に比べてそれがどの位淋しいものであつたかといふ事すら、ちよつと考へても直ぐ比較がとれた。兎に角道夫と沢田は黙つて居る儘で、「永久の味方」を得たと、互ひに思ふ事が出来た。
A中学が中学野球界に覇を保つて居るのは、投手の沢田と捕手の道夫との力に在るのだつた。それは誰でもが認めて居た。然しその二人の中どつちかゞ欠けたならば、沢田は道夫を相手として働く程の効果を現すことは出来なかつたし、道夫もそれと同じであると思つて居た。二人の意気がぴつたりと合つて居たからである。二人は二人の力を合せて完全な一つの力を作ることが出来たのである。――だからそれは野球の時ばかりではなく、沢田と道夫とは離るゝことの出来ない友達なのである。
その沢田が突然学校を止めなければならない事情になつた。家が遠方へ越さなければならなかつたのである。学校ではどの位沢田ををしむだか解らなかつた。選手仲間は勿論、野球好きの生徒達は皆暗涙にむせむだ。誰も云ふべき言葉を知らなかつた。――道夫は捕手の任を辞すると云つた。道夫の申出は原因が解つて居ることなので、これにも誰一人異議を唱へる事が出来なかつた。
「沢田君が居なくなると僕は野球ばかりぢやない――動くのも嫌だ。それは我儘で云ふのではない。――僕は沢田の球でないと受けとれぬと同じやうに、沢田が居ないとその日の送りようがないのだ。」と道夫は涙を流して云つた。