私が中学の三年の時でした。私の親友の河田が、突然自家の都合で遠方へ行かなければならなくなりました。河田とは小学校以来のたつたひとりの親友でしたから、私はその別れを何れ程悲しむだか知れませんでした。
河田と私とは学校の野球の選手でした。河田が居なくなつて仕舞つた、と思ふと、私はもう野球などやる元気はなくなつて了ひました。次の土曜日に対校仕合があるので、学校の運動場では毎日猛烈な練習が始つてゐて、私もどうしてもそれには出なければならなかつたのですが、私は少しも張合がなく、二三日前から運動場へ姿を現さなかつたのです。他の球友達も心配して毎日のやうに大勢が訪ねて呉れるのでしたが、やはり私の心を知つてゐるものですからすゝめる事も出来ず、しほ/\としてゐるばかりなのです。その同情深い球友達に接すると、私はどうしていゝかわからなくなる程、たゞ悲しさばかりが込み上げて来るのでした。私が出なければ私に代るべき捕手のない事も私は充分承知はしてゐたのでした。
「あゝ、つまらないな。」と私は思はず溜息を洩らしました。私の書斎には、土によごれたユニフオームが淋しく懸つて居りました。当り前ならバツトやボールと一緒に物置の隅に投げ込むで置くのでしたが、もうそれを着て河田と輝かしいスタンドに立つことも出来ないかと思ふと、それが河田との紀念のやうにさへ思はれて、はかないものとは思ひながらもさうして置かずには居られなかつたのです。机の前から凝と思ひ出の深いユニフオームを瞶めてゐると、幻の中だけでは喜ばしい心になることが出来たのです。
野球の事ばかりではありませんでした、河田と私との間にはその他に思ひ出せば種々なことがありました。
――丁度前の年の夏の事でした。その年に初めて私達の学校では水泳部がもうけられて、有志の学生だけが、教師に引率されて或遠方の海浜へ出掛けることになつたのです。
私は、どうしてもその水泳部に加はりたかつたので、河田はさして行きたがつても居なかつたのを、無理に、「何だ元気のない。」などと説き落して、二人はそれに加はりました。私達は真黒になることばかりを誇り合つて毎日を愉快に暮しました。