TRENDIA CLASSIC

若い作家と蠅

牧野信一

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ある時は――

苔のない心

うれしい心

くもつた心――悲しい心。

「つまらないの?」と、光子は自分が余り熱心に舞台に気を取られてゐるので、此方に気の毒な気がしたのだらう、軽い笑顔を作つて、突然此方を振り向いて云つた。自分は居睡りの真似をしてゐた。若し光子がその時――もう一秒間その儘の笑顔を保つてゐたら、自分は屹度「つまらなかないよ。」と悦びさへ感じて、義理にも答へたであらうが、光子は眼ばたきひとつしないで、またぢつと舞台を瞶めてゐるので、

「あゝ、つまらない。」と答へた。彼の声が腹の底で低かつたので光子には聞えなかつたのかも知れない、光子は此方などには頓着なく(それも仕方がないとは思つたが、)一心に向方を見て居るので、「チエツ」と自分は思つた。軽い失望と嫉妬と滑稽さとを感じた。

つい以前、光子と二人で近所の活動写真を見に行つた時、その時の写真は召集令といふ出征軍人の家庭を写した悲劇だつた、初めに召集令の降るべき村落の景色が映つた、畑を耕す無心な農夫、さんさんと流るゝおだやかな川、「やがてこの静かな村にも召集令は降るのであります。」と弁士が轍の軋るやうな詠嘆的なイヽ声色で叫んだ時、見物人はひとりも拍手しなかつたが、自分は突然ホロリとした。芝居なんか大嫌ひだ、くだらない、と自分は常々光子の芝居好を苦々しく云つてゐたのだつたが「何だい、活動を見て泣いたくせに。」と、反つて侮辱されて仕舞つて、然し自分は自分のその心持を説明するのは他合もなかつたけれど、虚栄心の強いハネツ反りの光子では到底駄目だ、とあきらめてゐたので、――。

黙つて芝居のお供はしたが、それに、「妾あの役者に恋したわ、だつて全く綺麗だわ。」などと云ふことに依つて此方の愛と嫉妬を脅迫するやうなことを直ぐ光子は云ふので、と自分は思つたので仕方がなく顔を上げて舞台を見た。

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