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TORENDIA

秋の暮

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

町はずれのお不動様へ向かう津山不動講の参詣客の群れの中に、作者は自身の幼き日の記憶と亡き母の面影を重ねる。かつて母に連れられ通った講社での祈りや、帰路に味わった焼餅の温もりといった郷愁を辿りながら、秋の暮れの坂道で故郷の人々とすれ違う心の機微を綴る随筆。都会で歳を重ねた自身の現在の姿と、過ぎ去った日々の記憶が交錯する中で、誰とも言葉を交わさず立ち去るまでの静かな情景を描き出す。

西東三鬼

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🎧 秋の暮 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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私は今日、町はづれのお不動様の近くに、用事があつて出掛けたが、用事の済んだのは夕暮れで、道傍の草むらには、秋も終りに近い虫の声が散らばつていた。そんな時間にも、まだお不動様へお詣りの群が切れ/″\につゞいて来るのであつた。

四、五十歳位の女の人が多く、皆、肩から斜に白い襷を掛け、それには津山不動講と書いてあつた。

そして私も岡山県津山市で生れたのだ。

私もこの人達と同じ年配だから、この中には、あの城山の下の小学校で、私と机を並べた人が居るかも知れない。そう思つて私は、あとから/\続いて来る顔を、ジロジロ見ながら歩いた。

あの小学校の上の城跡からは、時の鐘が一時間毎に、ゆつくりと鳴りひゞいた。城山の古い松の木には、おびただしい鴉が住んでいて、今日のような、いわし雲の空には、日暮れになると、胡麻をまいたように群れ騒いだ。小学生の私達は、その声をあとにして、思い/\に家に帰つたものだ。私はよごれ果てた都会人だが、ふるさとのこの人達の中に、四十年前の私の、幼な顔を発見して呉れる人はいないだらうか。私はふるさとの言葉を聞こうと、すれちがう度に耳を澄ましたが、秋の日暮れの旅先で、馴れない乗り物と人の群れに疲れ果てた人々は、言葉すくなに、重い足取りで坂道を上つて来るのであつた。

私の母は、この人達の年配で、この人達の町で死んで逝つた。丁度、秋の終りの、時刻も今頃であつた。私はいつのまにか、この老婆達の中に、母のおもかげを求めていたのだが、私自身、すでに母の死んだ年齢に達しているのだから、秋の虫の鳴く坂の曲り角で、ぱつたり母と顔を合せたら、それは奇妙な対面となるにちがいないのだ。

母もこの老婆達のように、信心深い人であつた。

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