『田園交響曲』は絵画的な描写ではない。田園での喜びが人の心に惹き起こすいろいろな感じの表現であり、それに付随して田園生活の幾つかの感情が描かれている。(一八〇八年)
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東は朝。――西は夕べ。――南は真昼。――北は真夜中。(一八一三年)
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現在のような日常生活をもうこれ以上つづけないことだ! 芸術もまたこの犠牲を要求しているのだ。気ばらしによって休息するのはいっそう力づよく芸術の仕事に努めるためでなければならない。(一八一四年)
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ヘンデルとバッハとグルックとモーツァルトとハイドンの肖像を私は自分の部屋に置いている。それらは私の忍耐力を強めてくれる。(一八一五年)
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田園にいれば私の不幸な聴覚も私をいじめない。そこでは一つ一つの樹木が私に向かって「神聖だ、神聖だ」と語りかけるようではないか? 森の中の歓喜の恍惚! だれがこれらすべてのことを表現し得ようぞ?……(一八一五年)
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神は非物質である。それ故神は一切の概念を超えている。神は不可見であるから形を持つことがないが、しかし神のさまざまな作品からわれわれが認知するところよりして、われわれは結論する――神は永遠であり全能であり全智であり遍在であると。一切の欲望から解脱しているが故に真に強いものはただ彼だけである。……強き彼は、空間の各部分に現在している。……おお、神よ、おんみはあらゆる時と所との真実なる、永久に浄福なる、不変なる光である。おんみの叡智は無数の法則を認めつつ、しかもおんみの行為は常に自由であり、おんみの行為の結果はつねにおんみ自身の栄光となる。……おんみに一切の讃美と恭敬とが捧げられよ! おんみのみが真の浄福者 Bhagavan である。一切の法則の実体、一切の叡智の姿であるおんみは全宇宙に現在して一切事物を保っている。(一八一五年)
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