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荷風年四十有二

正月元旦。間適の余生暦日なきこと山中に在るが如し。午後鷲津牧師来訪。この日風なく近年稀なる好き正月なり。されど年賀に行くべき処なければ、自炊の夕餉を終りて直に寝に就く。

正月二日。快晴和暖昨日の如し。

正月三日。快晴。市中電車雑甚しく容易に乗るべからず。歩みて芝愛宕下西洋家具店に至る。麻布の家工事竣成の暁は西洋風に生活したき計画なればなり。日本風の夜具蒲団は朝夕出し入れの際手数多く、煩累に堪えず。

正月六日。春陽堂主人和田氏年賀に来る。夜唖子と電車通の宮川に飲む。

正月七日。夜、微雨あり。アナトオル・フランスの L'Anneau d'Amethyste を読む。

正月八日。寒気稍寛なり。大工銀次郎を伴ひ麻布普請場に徃く。

正月九日。晴天。全集第四巻の原稿を春陽堂に送る。この日より再び四谷のお房を召使ふことにす。

正月十日。晴天。アンノオ、ダメチストを読む。篇中の主人公迷犬を書斎につれ来りて打興ずるあたり最面白し。七年前大久保の旧宅改築の際、一頭の牝犬、余が書斎の縁側に上り来りて追へども去らず、已むことを得ず玉と名づけて其儘飼置きし事など思起しぬ。それより家畜小鳥などにつきての追憶を書かばやと想ひを凝らす。

正月十一日。晴れてあたゝかなり。

正月十二日。曇天。午後野圃子来訪。夕餉の後忽然悪寒を覚え寝につく。目下流行の感冒に染みしなるべし。

正月十三日。体温四十度に昇る。

正月十四日。お房の姉おさくといへるもの、元櫓下の妓にて、今は四谷警察署長何某の世話になり、四谷にて妓家を営める由。泊りがけにて来り余の病を看護す。

正月十五日。大石君診察に来ること朝夕二回に及ぶ。

正月十六日。熱去らず。昏々として眠を貪る。

正月十七日。大石君来診。

正月十八日。渇を覚ること甚し。頻に黄橙を食ふ。

正月十九日。病床万一の事を慮りて遺書をしたゝむ。

正月二十日。病况依然たり。

正月廿一日。大石君又来診。最早気遣ふに及ばずといふ。

正月廿二日。悪熱次第に去る。目下流行の風邪に罹るもの多く死する由。余は不思議にもありてかひなき命を取り留めたり。

正月廿五日。母上余の病軽からざるを知り見舞に来らる。