TRENDIA CLASSIC
三浦環のプロフ
ィール
吉本明光
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三月十日の空襲で東京の一半は焼野原になってしまった。銀座も半分なくなってしまった。東京の市民は荒涼たる焦土と、戦争に対する絶望感から意気阻喪してしまった。打ちひしがれた市民を慰め、惨めな生活にほんの僅かな潤いを与えるのは音楽以外にない[#「ない」は底本では「なり」]。音楽の配給をしていた日本芸能社では先ず街頭演奏を計画して、戦災の余燼くすぶる三月十四日から新宿駅と上野駅の広場で、下八川圭祐、淡谷のり子、笠置シズ子さんを始め、音楽家を動員して街頭演奏をやったところ、予想以上に市民から悦ばれた。そこで次になすべきことは日比谷公会堂で音楽大会を開催することである。その大会に出演を依頼するために、富士山麓の山中湖畔の疎開先きに三浦環さんを訪問したのは五月二十二日だった。バスを降りてから一里の道を雨に濡れて三浦さんの家に辿り着いたのは、黄昏時の七時頃、がらっと障子戸を開けると土間、あがりばたの部屋には囲炉裡があって、自在鈎にかけたお鍋の蓋をとって煮物のお塩梅をしていた、やせたお婆さんが、おやっといった目付きで訪問客を見た。「三浦先生おいでですか」「えッ!」僕はまさか、このやせたお婆さんが三浦環さんだとは考えもつかなかった。戦争のために栄養物がなくなり、日本人はみんなやせた。肥っているのは軍官と結託して闇物資をあさっている闇肥りの連中だけだったが、それにしても、あのでっぷり肥って、色艶がよくて、せいぜい四十そこそこにしか見えなかった、若々しい、三浦環さんが、僅か一年ほど逢わないうちにこんなにやせて、こんなに一度に年をとって、お婆さんになろうとは夢にも考えられなかった。