TRENDIA CLASSIC

艶容万年若衆

三上於兎吉

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呉羽之介、露月と不忍池畔に奇遇の事

揺るぎ無い御代は枝を吹く風の音も静かに明け暮れて、徳川の深い流れに根をひたした江戸文明の巨木には、豪華艶美を極めた花房が、今をさかりに咲き盛かり、散って萎れる末の世のかなしみの気配をば、まだこればかりも見せぬ元禄時代の、さる年の晩春初夏に、この長物語ははじまります。

それは四月なかばの、とある朝のことでありました。涼やかな軟風にさざなみを立てている不忍池畔の池添い道を、鉄色無地の羽二重の着流し姿に、橘の加賀紋をつけた黒い短か羽織茶色の帯に、蝋塗細身の大小の落し差し、編笠にかくれた面立は解りませぬが、年のころは三十あまりと思われるのが、只一人、供もつれず、物思いがちにブラリブラリと逍遙っておりました。

つい先達まで、寛永寺畔一帯に擾れ咲いていた桜は、もはや名残もなく散り果てて、岡のべの新緑は斜めに差すあざやかな光に、物なやましく映え渡り、木の間がくれに輝やいている大僧坊の金碧が、蓮の浮葉のいまだしげに浮んだ池の汀に映っているありさまは、ほんに江戸名所、東錦絵のはじめを飾るにふさわしい風情と見えるのです。

けれども件の侍は、あたりの眺めに心をひかれるさまもなく、思いありげなふところ手で、肩を落して、なぎさを北へと辿ってゆきます。

此の侍、いかなる身元かと言うと、当時時めく名医、典薬左井黙庵の次子、不二之進、代々の医業を嫌って、菱川派の流れを汲んだ浮世絵ぶりに大名を馳せ、雅号を露月と名乗って、程近い徒士町辺に閑居を構え、数寄風流の道に遊んでいるものでありました。

この露月の、萎れ屈している逍遙に、満更理由のないわけでもありませぬ。遅れ咲きの八重ざくらが、爛漫として匂う弥生のおわり頃、最愛の弟子君川文吾という美少人を失って、悲歎やるせなく、この頃は丹青の能をすら忘れたように、香を拈じて物を思い、物を思うに疲れては、あてもない散策に、惜しむも甲斐のない死別の哀愁を、振り捨てようとするのでありました。