TRENDIA CLASSIC

名曲決定盤

野村長一

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巻頭言

この書の成るまで

音楽を愛するが故に、私はレコードを集めた。それは、見栄でも道楽でも、思惑でも競争でもなかった。未知の音楽を一つ一つ聴くことが、私に取っては、新しい世界の一つ一つの発見であった。

その頃、日本においては、ワーグナーもベートーヴェンも聴く方法はなかった。劇詩としての『白鳥の騎士』を読み、文献によって『第九シンフォニー』の壮麗さは知っても、それを音楽として聴くことの出来なかった時代に、我らは少青年時代を送ったのである。

今から二十幾年前、パデレフスキーやイザイエの名演奏が、レコードとして渡来した時、どんな感激を以てそれに接したか、それは大方の想像に任せよう。続いて入って来た、怪しげなる『未完成シンフォニー』『第五シンフォニー』は、当時の我らに取っては、相対性原理の発見よりも重大な問題であった。

私をレコード道の底無し沼に引き込んでしまったのは、パデレフスキーの弾いたショパンの『ワルツ』や、イザイエの弾いたメンデルスゾーンの『コンチェルト』や、その後ビクターに入って来た、黒盤の『第五シンフォニー』であったかも知れない。僅かばかりの蒐集を、朝聴いて晩聴いて、また寝しなに聴くほど熱中したが、貧乏で臆病な私は、たった一枚のレコードを求めるために、しばしば幾日も幾日も考えなければならなかった。富裕な知人の某氏は、私がレコードを提げているのを見ると「またかい、それだから君は貧乏するんだよ」――そんなことを言って冷たい笑いを浴びせたりした。

だが、その頃、レコード以外では、メンデルスゾーンの『コンチェルト』も、ベートーヴェンの『第五シンフォニー』も聴く工夫はなかった。やがて、ゲルハルトの歌ったドイツのリードや、フロンザリーの弦楽四重奏曲に食いつく頃、私のレコード熱は全く膏肓に入っていた。