本文へ移動
TORENDIA

新古細句銀座通

本文約22,400字 ・ 読了時間 約45分

あらすじ(AIが作成しました)

明治から大正期にかけて銀座の二丁目で育った著者が、かつての街並みや自身の生活の記憶を綴る。精水の本舗を営む生家の様子、娯楽の場であった勧工場の賑わい、電気やガス灯の導入による街の変遷、そして夜店の光景を描写する。また、当時の銀座を彩った個別の店舗や街路樹の柳が持つ風情、自らの絵画鑑賞体験などを振り返り、時代の移ろいの中で失われゆく古き良き東京の面影と、現在に至る街の姿への感慨を記録する。

岸田劉生

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 31

おもいで(一)

私は明治二十四年に銀座の二丁目十一番地、丁度今の服部時計店のところで生れて、鉄道馬車の鈴の音を聞きながら、青年時代までそこで育って来た。だから銀座のうつりかわりは割合にずっと見て来ている訳であるが、しかし正確なことはもとよりわからない。が、「煉瓦」と呼ばれた、東京唯一の歩道時代からのいろ/\のうつりかわりにはまた語るべきことも多い様である。いろいろの思い出やら、変り行く世の姿から思い起す批評などとりとめもなくかいてみようと思う。

御承知の方々も多いと思うが私の生家は目薬の精水の本舗であって、岸田の楽善堂というよりも精水といった方が通る位の店であった。父(吟香)の道楽から店を半分に切って一方を薬房、一方を書房とし、書房では支那の筆墨硯紙その他文房具風のものや、書籍などを売っていた。唐紙の様な紙を太くこよりの様にしたのに火をつけ、フッと吹くと、ポッと燃えフッと吹くと消えるという様なものがあったりして、面白がってそれをやって遊んだこともある。よく支那人が買いに来ていて番頭さんが片言で「鎮座々々」なんどとやっていた。王テキサイ(字不明)という片腕ない支那人が父のところへよく来たが、これは馬車に腕をひかれたのだとか、多分品物を売り込みに来たものであろう。何しろ日清戦争のじき後のこととて、王テキサイという名が大きな敵の様な気が子供心にして反感を持っていたことなど思い出す。

岸田劉生の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本