けすとえくえろ
本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
甲賀三郎が唱える探偵小説は芸術にあらざるという説を題材に、著者は探偵小説の本質や芸術の定義について考察を綴る。本書では、あらゆる芸術が一定の約束事に縛られている点を指摘し、探偵小説もその枠組みの中で芸術足り得ると主張する。さらに、かつてのロシア文学の概念に囚われた日本の文芸観を批判し、英米諸国と同様に今後は探偵小説や犯罪小説が主流となり、ジャーナリズムと結びついて進化していく未来の文学のあり方を論じる。
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甲賀三郎氏の探偵小説についての論文は、同氏の小説とおなじく、正直に正面からぶつかったもので、すこぶる読みごたえのあるものだが、正面からぶつかっていられるだけ、部分的には一つぐらい私の考えと違うところがないでもなかったが、これはむしろ当り前で、人間の顔が一人一人ちがうと同じであろう。「今尚探偵小説は芸術小説たり得るという説をしている人があるのに驚く。或る約束に縛られたら、最早芸術ではない。例えば絵画は芸術だが插絵は芸術ではない」大抵の人はこの甲賀三郎氏の説と同意するだろうか、私はそうは思わない。私には絵画の尺度で插絵を批判するからこそ插絵が芸術でないように思われるので、插絵には插絵としての別個の芸術があるように感じられるのだが、これは私の錯覚だろうか。
およそどんな芸術でも約束に縛られないものはないように思う。芝居は舞台の上から眼と耳に訴えるべく約束づけられ、音楽は耳以外に一歩も出ることが出来ず、小説は文字、絵はカンヴァス、和歌や発句は字数まで縛られている。小説だけについてみても、日本の純文芸とやらの心境小説は心境のみを窮屈に掘りさげなければならんわけだし、私小説は必ず自分の経験をかくべく約束され、恋愛小説に一つ以上のラヴアフェアが盛られていなかったら、もはや恋愛小説とは云われなくなる。同様に戦争小説は戦争をかき、探偵小説は犯罪の発見の経路をかくのだとは云えないだろうか。