春分の日が近い。そとには私の好きな菜の花が咲いているだろうか。この罪を犯してから六年になろうとしている。一日、一日がかけあしで過ぎた感がする。罪人の心が有形のもの、無形のものに育くまれ、その情に洗われた裸の思念が数百首の短歌となり、この「遺愛集」となった。感謝であり、幸せである。ひと頃の私を知る人は変ったと思うだろうし、又、自身でもそうと感じて生きている。
身は悲しむべきであるが、心はうれしいのである。
私が短歌を始めた事のなりゆきは、昭和三十五年の秋に拘置所の図書を一冊読んでであった。それは、開高健著の「裸の王様」を読んでのことであった。その中に、絵を描くことによって暗い孤独感の強い少年の心が少しずつひらかれてゆくと云うすじであって、当時の私の心をうった読後感とともに、私は絵を描きたい、そして童心を覚ましたい、昔に帰りたい思いを強くさせられた。しかし、当時は絵を描くことを許されていなかった身には、描きたい思いがふきあがって来るだけで絵は描けなかった。せめて、児童図画を見ることによってと思い、図画の先生でもあった、又、ほめられた事の極めて少ない私が図画の時間に絵はへたくそだけど構図がよいと云ってほめられた事のある先生であり、中学一年の時担任の先生でもあった、吉田好道先生に当時の身分と理由とを書き、子供の描いた図画が欲しいとお願いした。
その返書は、親身なもので、自分に対するおどろきと反省をよびおこす優しさで満ちていた。同封されて奥様の手紙があり、その中に少年期を過した家の前の香積寺とそのお住職様を詠んだ短歌が三首添えてあった。これが私の短歌に接した初めであって、過ぎし日のなつかしさもあり歌は何とよいものであろうかと思った。これがきっかけとなり、又、刺激ともなって、自身にふさわしいものとし得て、時折りに詠みはじめ詠んで今日に至っている。