TRENDIA CLASSIC

琉球に学ぶべきもの

志賀重昂

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――絶海孤島の教育  渡名喜島は沖縄島を離る、三十浬、周廻二里八町の弾丸黒子のみ。島人往々食糧に欠乏し蘇鉄の澱粉を製す。其製作法たる蘇鉄の幹の皮を剥ぎ輪切りにし乾燥し水に浸し、捏ね、晒し、辛苦容易に非ず。小学校の教師湯を注ぎ予に供して曰く「本島と一個月一回の汽船航通あれども風濤に依り時に汽船の寄泊せざることあり。今回も二個月間汽船到来せざりしが故に全島茶に欠けり。湯を供する失礼を恕せよ」と此の如きの島にして学齢児童毎百に付男女平均九一・一六あり。即ち東京大阪両府よりも上位にあり。福島県青森県の八五・〇〇、山梨県の八一・〇〇と比較して何の感かある。

――教育の普及  沖縄県全体より見れば小学教育の普及は山梨県以上にありと雖も未だ内地各府県の上位にありと云ふべからず。然れども就学歩合の累年統計を視察すれば進歩の急激なる、正に内地各府県の第一等にあり。即ち明治二十五年は男二十、女五なりしもの三十年には男五十一、女二十一となり三十八年には男九十、女七十七となれり。即ち二十年間に六十割以上の進歩を致したるもの人をして隔世の感あらしむるなり。

――跣足の生徒  那覇首里の如き都会の学童すら大概跣足なり。況んや離島の学童の如き靴草履などを穿つ者一人だにある無し。小学校中児童をして実芭蕉、蜜柑の栽培、鶏の飼養を奨励し其の収入を以て書籍、筆墨紙の費用に充つるものあり。内地各府県の生徒見て以て自ら戒むるを要す。