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TORENDIA

庶民の食物

本文約2,000字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

サンマや鰯などの庶民的な食物を題材に、日本の食文化や食事に伴う感慨を綴る随筆。夕暮れの民家から立ち上る魚を焼く煙に国土と季節を感じ、質素な食事から生きることの重みや他者への思いを馳せる日常の心境を記述する。また、高価な珍味や食通を気取る料理屋の態度に対して批判的な視点を向け、著者の食に対する嗜好や民主的な精神を論じる。食事の光景から呼び起こされる記憶や社会への洞察を通して、食を通じた人間の情緒的なあり方を考察する。

小泉信三

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🎧 庶民の食物 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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魚をじかに火で炙るということは、ほかの国ではしないことなのか。西洋を旅行して、裏町を歩いても、魚を焼く匂いをかいだ記憶はないように思う。青煙散ジテ入ル五侯ノ家、という唐詩の句は、別のことを詠じたものであるが、とにかく、脂ののった魚を焼く煙が、民家の軒をくぐって青く夕暮の空に上るという景色は、日本独特のもので、われわれに強く国土と季節を感ぜしめる。

魚を焼くといえば、まずサンマと鰯を想うが、この国で、こんなうまいものが、安く、誰の口にも入るとは仕合せなことだ。私の母は鰯が好きで、私たちが子供のとき――その頃私は魚よりも肉を好んだが――焼いた鰯を食べさせながら、「こんなおいしいものを天子様にさし上げたい」と、よくいった。鰯やサンマのような下魚(げうお)は、宮中の食膳には上らないものと思っていたらしいが、きけば事実は必ずしもそうでもないらしい。それはとにかく、人間が――ことに勤勉で勇敢な日本の漁夫が――捕り過ぎて、魚がだんだん少なくなっていくという。鮭も鱒も蟹もであるが、ますます増加する人口のため、サンマと鰯は取りとめたいものである。

サンマ、鰯といえば、温かい飯とこなくてはならないが、贅沢な料理の膳に向ったときよりも、かえって家庭で、このような質素でうまい食事をするときに、今日もこうして無事に飯を食うと思い、飯が食えるということが、人類にとってどんなに重いことであるかというようなことを、考えさせられる。サンマから佐藤春夫の詩を憶い出していうのではないが、ひとはどうか、私は食事のときに自分の心が感じやすくなっているのを自覚する。よく食事をしながら、人の哀れな身の上や、健気な振舞の話をきいて、涙を落とすことがある。唾腺と涙腺とはなにか特別の関係があるものか。きいてみたことはないが、昔から、箸を投じて落涙するというような話があるから、これは私一人ではないのかもしれぬ。

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