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昭和十七年
(十二月九日――十二月二十八日迄)
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昭和十七年十二月九日(水) 近ごろのことを書き残したい気持ちから、また日記を書く。
昨日は大東亞戰爭記念日であった。ラジオは朝の賀屋(興宣)大藏大臣の放送に始って、終始、感情的叫喚であった。夕方は僕は聞かなかったが、米国は鬼畜、英国は惡魔だといった放送で、家人でさえもスウィッチを切った。かくも感情に訴えなければ、戰爭は完遂できぬのか。
東京でお菓子の格付けをするというので、お役人が集って有名菓子を食ったりしている。役人はいかに暇であることか。
昨日、陸軍に感謝する会が、木挽町の歌舞伎座であって、超満員だった。
十二月十二日(土) 右翼やゴロツキの世界だ。東京の街は赤尾敏(建国会会長・代議士)という反共屋の演説ビラでいっぱいであり、新聞は国粹党首という笹川良一(国粹大衆党総裁・代議士)なる男の大阪、東京間の往來まで、ゴジ活字でデカデカと書く。こうした人が時局を担当しているのだ。
この戰爭の第一の失敗は、極端な議論の持主が中枢を占有し、一般識者に責任感を分担せしめぬことだ。
十二月十三日(日) 資本家は生産増強の重荷を負わされている。それにもかかわらず法規で縛られ、統制に服して、不平満々だ。資本家側で現時の官僚を「赤」と呼ぶものが多い。小林一三氏(東宝社長・元商相)がそうであり、半沢玉城君(外交時報社長・元読売新聞編集局長)がそうだ。今日の朝日には藤山愛一郎(大日本製糖社長)が「人の機械化を排せ」といって、観念的平等主義を諷している。
十二月十五日(火) 奧村(喜和男)情報局次長は、新聞記者会合の席上で「新聞の紙は來年からウンと少くなる。諸君は新聞記者をやめて、情報局の聖戰完遂の演説で地方でも回れ」と言ったという。それから「中央公論」などはウンと紙を少くするとて、名をあげて攻撃した。さらに堀内という中佐は、中央公論をなくしてしまうとも言ったとのことだ。言論はこれら少壯官吏の玩具になったのである。