日中間の闇 ―― 友好という名の半世紀、その光と影 ――
TRENDIA

日中間の闇 ―― 友好という名の半世紀、その光と影 ――

鹿島 公胤 KASSI

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はじめに 「友好」という言葉の向こう側

1972年、日本と中国は国交を正常化した。

戦争という過去を抱えながら、両国は経済交流と人的交流を拡大させていった。日本は中国の発展に資金・技術・人材などの面から協力し、中国は世界有数の経済大国へと成長した。

しかし、その一方で、歴史認識、尖閣諸島、台湾、香港、人権問題、安全保障など、両国の間には次第に深い溝が生まれていく。

本書では、「日本と中国のどちらが正しいのか」という単純な二元論ではなく、1972年から現在までの出来事を時系列でたどる。

日本は中国に何を提供したのか。

中国はどのように変化したのか。

そして日本は、その変化をどこまで予測できていたのか。

第1章 国交正常化――始まった「日中友好」

1 1972年、日中共同声明

1972年9月29日、日本と中華人民共和国の間で「日中共同声明」が署名された。 日本側から田中角栄首相と大平正芳外相、中国側から周恩来国務院総理と姫鵬飛外交部長が署名し、これによって両国は正式に外交関係を樹立した。 戦後、日本と中国の間に存在していた長い「不正常な状態」が終わり、日中関係は新しい時代へ入ることになった。

当時の日本にとって、中国との国交正常化は単なる外交上の一案件ではなかった。 1972年の外務省外交青書は、中国を「わが国最大の隣国の一つ」と位置づけ、日中関係の正常化を「今後のわが外交にとって最も重要な問題」の一つと説明している。 すでに国交がない状態でも、日中間には年間約9億ドルに達する貿易が存在しており、人的交流も行われていた。

つまり、1972年の日本は「中国と付き合うか、付き合わないか」という段階ではなかった。 すでに経済的にも地理的にも、中国を無視して日本の将来を考えることは難しくなっていたのである。 その現実を外交関係という形に整理し、正式な政府間関係へ移行させたのが、1972年の日中国交正常化だった。

国交正常化を急いだ日本