TRENDIA CLASSIC

だだをこねる

辻潤

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こねたところでまるめてみたところできなこはきなこである。かんでみたところでなめてみたところでマメはマメである。時に、ひどく欠伸がでてこまりもしないけれどなんにしてもやりきれない生活感情であることよ! おもしろくないことおびただしいので、私はつねにねそべってバットでも吹かしているのがこの上もない、パライソなのである。その上きれいな水とリンゴと青いものと小鳥の声でもあれば、申し分はない。おれは都会をすかん、ただある因縁によってしばらくがまんしているだけの話だ。私は五十年おふくろとつき合ってみたがまったく女というものはバカでこまるよ。そのバカなおふくろのおなかから生まれた私がどうしてバカでない道理があるものか? ザマア見ろ! てんだ。

おれには自分ひとりを支えてゆく能力さえないが別段恥かしくもおかしくもなんともない。おふくろやこどもでもいなかったら、とうにどこかで野晒になってしまっていたに相違ない。もっともその方がよほど気楽かもしれないがね。荘子という本の中に荘子とドクロとの問答がある。ドクロが荘子に向かって己れのたのしみは南面王にも真似は出来まいといって大気焔をあげている。どうかと思うがね。

なんしろ字なんか書くって奴はいとも面倒くさいもんであるよ、みんなよくもまあながながとことや細かくつまんねえ屁理窟やつまらん男と女がどうしたとかこうしたとか、すべったとかひっくりかえったとか凡そベラボーでちんぷでなさけなくはては臍茶なもんやないかないか――だがみんな生きとしいけるものはおまんまというものをいただかなければならないのが、実に厄介センバンだよ。これにはシャッポだ。だから私は凡そおかねのない人達がどんなことをしようとやろうとたいていがまんしてむりもないなと考えながら傍かんしているんだ。

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