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TORENDIA

東京宝塚劇場の再開に憶う

本文約720字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

昭和九年に開場した東京宝塚劇場は、清く正しく美しくを掲げ大衆娯楽の殿堂として発展する。しかし戦争による休場、戦後の進駐軍による接収という紆余曲折を経て、昭和三十年にようやく東宝の手に返還された。本書は、接収解除後に再び宝塚歌劇を上演する喜びと、創設者が抱く劇場の理想を再確認し、今後の展望を綴る随筆である。

小林一三

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🎧 東京宝塚劇場の再開に憶う / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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私は、関西で創立した宝塚歌劇を、何んとか東都に進出させ度いとかんがえて東京の市村座・歌舞伎座・新橋演舞場・帝国劇場等に出演させて、その様子を見て居りましたところ、充分成功する見透しがついたので、昭和七年、今の東宝株式会社の前身、株式会社東京宝塚劇場を設立し、日比谷の一角に、宝塚歌劇が常打できる東京宝塚劇場の建設にかかったのであります。

それが昭和八年末竣成して、あくる昭和九年一月一日より宝塚歌劇をもって、華々しく開場しました。爾来、御家族ともども楽しんで頂ける娯楽、すなわち清く正しく美しくをモットーに、家庭共楽の殿堂、大衆娯楽の陣営として、宝塚歌劇を上演してまいったのであります。そして宝塚歌劇の上演しない月は、芸術座、春秋座、新国劇と、国民劇と国民劇の育成を目的とした東宝劇団等の出演をもって東都の新名所となったのでありますが、戦争のために遂に昭和十九年には休場する事態に立ちいたりました。

次いで終戦となり、昭和二十年十二月廿四日に進駐軍のため接収され、比島戦線にて活躍して散った米国の新聞記者のアーニイ・パイルの名を冠したアーニイ・パイル劇場として、永らく米軍の用に供しておったのでありますが、その間紆余曲折はありましたが、幸い昭和三十年一月二十七日をもって接収を解除され東宝の手に戻ったのであります。

そして久方振りに宝塚歌劇を上演、軒高く五線譜の淡い薄緑のネオンが輝き、美しい歌声のもれる劇場となりました。この日の来るのを、千秋の思いで待ちこがれていたのは、私のみではないと信じます。今後、東宝の宝塚本営として、私が創設しました四十年昔の宝塚の理想を発揮しうる時代が来ることを確信しております。(三〇・四・一五 東京宝塚劇場にて)

完

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