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TORENDIA

泉鏡花先生のこと

本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

駿河台の宿屋で二十一歳の時に初めて対面して以来、長きにわたり交流を深めた著者が、芸術家としての矜持と独自の主観に貫かれた日常生活の細部を振り返る。極度の潔癖から生じる独特の食生活や、犬や雷を極端に恐れる性格、神社仏閣や師への篤い敬意、文字への並外れた拘りなど、文豪として時代を超えて輝いた人物の人間味溢れる素顔と、その芸術家としての一生を綴る。

小村雪岱

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🎧 泉鏡花先生のこと / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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私が泉鏡花先生に初めてお眼にかかったのは、今から三十二、三年前の二十一歳の時でした。丁度、久保猪之吉氏が学会で九州から上京され、駿河台の宿屋に泊っておられ、豊国の描いた日本で最初に鼻茸を手術した人の肖像を写すことを依頼されて、その宿屋に毎日私が通っている時に、鏡花先生御夫妻が遊びに見えられて、お逢いしたのでした。

久保氏夫人よりえさんは、落合直文門下の閨秀歌人として知られた方で、娘時代から鏡花先生の愛読者であった関係から親交があったのです。

当時、鏡花先生は三十五、六歳ですでに文運隆々たる時代であり、たしか「白鷺」執筆中と思いましたが、二十八、九歳の美しいすゞ子夫人を伴って御出になった時、白面の画工に過ぎなかった私は、この有名な芸術家にお逢い出来たことをどんなに感激したかわかりませんでした。その時の印象としては、色の白い、小さな、綺麗な方だということでした。爾来今日に至るまで、先生の知遇をかたじけなくする動機となったわけです。

鏡花先生は、その私生活においては、大変に人と違ったところが多かったようにいわれておりますが、私などあまりに近くいたものには、それほどとも思われませんでした。何故ならば、先生の生活はすべて先生流の論理から割り出された、いわゆる泉流の主観に貫かれたもので、それを承るとまことに当然なことと合点されるのです。即ち人や世間に対しても、先生自身の一つの動かし難い個性というか、何かしら強味を持っておられた人で、天才肌の芸術家という一つの雰囲気で、凡てを蔽っておられました。その点偏狭とも見られるところもありましたが、妥協の出来ない人でした。しかしその故にこそ、文壇生活四十余年の間、終始一貫いわゆる鏡花調文学で押し通すことの出来たわけでもあり、文壇の時流から超然として、吾関せず焉の態度を堅持し得られたものと思われます。

先生が生物を食べないということは有名な話ですが、これは若い時に腸を悪くされて、四、五年のあいだ粥ばかりで過ごされたことが動機であって、その時の習慣と、節制、用心が生物禁断という厳重な戒律となり、それが神経的な激しい嫌悪にまでなってしまったのだと承りました。

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